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定点観察



年越しの黄色い実を付けたまま、梅雨明けからなんどか金柑(きんかん)は、白い小さな花を咲かせます。
目立たないように、ちょっと魅力的な香りを放って、すぐにパラパラと花を落とします。





樹木は落葉樹がいい、私は ずっとそう思ってきました。
冬になっても いつまでも枝に しがみついている緑の葉は、どうも好きになれませんでした。

それが ことしの春、常緑樹の新芽を観察して、宗旨替えしたくなりました。

金木犀や枇杷や八手やフェイジョアや そして金柑の、重々しい暗緑色の越年葉の上に みずみずしい新芽が伸び出したさまは、まるで草色の花々を咲かせたように 美しい。

こういう観察ができるきっかけを、尾崎一雄著 『単線の駅』(講談社文芸文庫)で得ることができました。
定点観察の楽しさ、とでも言うのでしょうか。
尾崎一雄という作家の、ほのぼのとした “人間智”に惚れこむと同時に、身近な自然を愛する悦びを、教わった気がします。


私の父の年代か それより少し上の年代の小説家を、名前は知っていても、その作品を読む機会が あまりありませんでした。
敢えて避けていた、というところもあります。
妄想的に反発を感じていたから、だと思います。
現に この年代には、文壇的な灰汁の強そうな作家が多そうです。

でも 尾崎一雄は違う、と感じました。
数冊の文庫本を読んだくらいで偉そうなことは言えないのですが、きっとそうだと思います。

尾崎一雄氏は 自分で自分のエッセイを “雑文”と称しています。
私は、この “雑文”が好きです。
専門ぶらず、てかてかの禿頭とは正反対の性癖から来る内面性、グローバルとは縁遠い日常雑事、しかし そこにこそ見いだせる人間の温かみ…


『単線の駅』とは、JR御殿場線の下曽我駅のことです。
東海道本線国府津(こうづ)からひと駅、御殿場線へ入ったところです。
尾崎一雄氏のふる里であり、終の棲みかでもありました。

かって御殿場線は、つまり丹那トンネルが開通する昭和9年までは、東海道本線でした。
急こう配の多い御殿場線は、片方のレールが剥され、たちまち単線のローカル線になりました。

東海道新幹線が丹那トンネルの少し北側を貫通した<新丹那トンネル>を走ったのは、それから30年後の 昭和39年のことです。

尾崎一雄氏は、その19年後 昭和58年に亡くなるまで、戦後の日本を 下曽我の片田舎で “定点観察”し続けていました。
この文庫本巻末で ドイツ文学者の池内紀(いけうちおさむ)氏は、“雑文”のタイトルに 『単線の駅』が選ばれた意味を、的確に解説しています。

まず、“そこ”が 作者のふる里であり 帰郷の地であったこと、そしてもうひとつ、池内氏は次のように表現しました。


  もう一つ意味がある。
  技術の力でトンネルが開通するとともに旧本線は 「はかないローカル線」に転落した。
  時代にときめくものがあれば、その一方で、蹴落とされていったものもある。
  「単線の駅」は一つの短文に とどまらない。
  57編をつらぬく特徴であって、尾崎一雄はつねにローカル線の位置から書いた。
  時代にときめく本線派の傲慢、ひとりよがり、権勢欲、自己顕示をじっとながめていた。
  素材はごく小さいだろう。
  わりと似通ったことがつづられる。
  一見、日常雑記のようでいて、しかしそこに記録性と批評性がバランスの平衡をとって封じ込めてある。
  雑文でのみ味わえるたのしみだ。


年齢を重ねると、どこへでも だれとでも、というわけに行かなくなります。
いつしか定点にとどまって、一見 同じことの繰り返しを過ごすことになります。

尾崎一雄著 『単線の駅』は、そのような定点でも楽しめる観察法みたいなヒントを、授けてくれました。

これからも、定点観察を楽しみたいと思います。


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