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穴太寺の撫で仏



西国三十三所第21番札所の 菩提山・穴太寺(あなおじ)は、
丹波の国(京都府亀岡市)曽我部町穴太にあります。
穴太は、絵師・円山応拳の生まれ育ったところとして知られていますが、
たぶん札所めぐりでなければ 訪れることもなかったと思います。





京都から縦貫道で老ノ坂を超えれば、亀岡はすぐ。
バス道から通りを一本なかに入ると、心やさしい風景が広がります。
里人の深い信仰を集める
穴太寺は、
こんなのどかな風景の中に溶け込んでいます。






穴太寺の歴史は古く、奈良時代末期、
大伴古麿が薬師如来像を安置したことに始まると記されています。

今昔物語に こんな説話が残っています。


昔、丹波国曽我部の悪評高い郡司・宇治宮成(うじのみやなり)の邪心を改心させるため、
妻が京都の仏師・感世に 聖観音菩薩像を造らせます。
見事な観音さまに仕上ったお礼に、宮成は仏師に自慢の白馬を与えますが、
すぐ惜しくなり仏師を追います。

そして、老ノ坂あたりで仏師を弓で射殺してしまいます。
馬を連れて家に戻ると、観音さまの左胸には矢が刺さり 血を流しておられます。
仏師の身代わりになられたのです。
観音さまの霊験に触れた宮成は心を改め、僧になってお堂建立を発心すると、観音さまが夢枕に立ち
穴太寺の薬師さまと力を合せて穴太の人びとを助けたい」 と告げられました。


薬師如来像も お寺の建物も 再三の兵火で焼失しましたが、
聖観音菩薩像は残り、
穴太寺の本尊として安置されています。
ただ、この観音像は 33年に一度だけ開扉の秘仏で、ふだんは拝することはできません。

その代わりと言えば憚られますが、
穴太寺には土地の人々から
「撫で仏」 として親しまれている木彫の釈迦涅槃像があります。
ふとんに横たわっておられるお釈迦さまの掛布団をそっと剥がし
自分の病と同じ部分を撫でると 病気が治るとされています。






この寝姿のお釈迦さまの出所が、興味深いのです。
明治時代の住職が 天井裏で眠っていたこの像を見つけたといいます。

その発端は、大阪天満の天野某という夫人が
「18歳になる孫娘の病気平癒をお願いしたところ
寝姿のお釈迦さまが現れてお助けくださった。
その仏さまは このお寺にお籠りになっておられる」
と言って、
穴太寺を訪れました。
そこで寺中を捜したところ、天井裏で眠っておられたというのです。

撫でさすられて黒光りのお釈迦さまの学術的な由緒は、定かではありません。
そんなことはどうでもいいのです。
人目を憚ることもなく 罪の意識もなく、
心ゆくまで触れさせてもらえるのです。



奈良や京都には立派なお寺が数多くあり、
国宝級の仏像をたくさん目にすることができます。
でも、ほんとうに信仰の対象になっているお寺や仏像は、
はたしてその何割でしょう。
私は、この
穴太寺の釈迦涅槃像のような仏さまを慕います。

穴太の里には、はや秋の気配が漂っていました。




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