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熊野詣で





佐藤春夫記念館 案内係りさま




お名前をお尋ねするのを忘れ、「案内係りさま」とお呼びする無礼を お許しください。

館内を丁寧にご案内いただき、障子に嵌め込まれた春夫の弟の思い出のポスターなど、見逃してしまいそうな輝きを気づかせていただいて、心よりお礼申し上げます。

その折 話題になりました 『京都にある佐藤春夫の歌碑』のことで、お詫びせねばなりません。

私のまったくの勘違いで、吉井勇の歌碑を 佐藤春夫の歌碑と間違って記憶しておりました。ご勘弁ください。


佐藤春夫記念館を見学できたのは、ほんとうに幸運でした。

西国三十三所めぐりで青岸渡寺を訪ねるのが目的で、一泊二日の熊野詣での途中でした。

熊野速玉大社にお参りして、たまたま11月1日から開催の「佐藤春夫と西村伊作展」 にめぐり会えたのです。


生誕地の新宮に 東京の旧宅を移築復元した 「佐藤春夫記念館」 が、とても気に入りました。

どの部屋も どの空間も モコっと纏まっていて、変化に富んでいて、明るくて・・・。
ことに サンルームは、夢にみそうです。
こんなおうちに住んでみたいね と、家内と語り合いました。
まあ、夢のまた夢でしょうけれど。


いにしえの都びとが往復30日かけて詣でたという熊野路を横着にも たった二日で駆け抜けた熊野詣ででしたが、秋晴れの天候にも恵まれ、思い出深い旅となりました。


最近よく家内と口癖のように言うことですが、もう再び来ることはないであろう、少なくとも 二人揃って訪ねることはなかろう、そう思えば余計に たった二日の熊野詣でですが大事な大切な旅に思えてくるのです。


車窓から眺める熊野川の雄大さ、車はやめて せめて最後の熊野路を、と 歩いた那智の大門坂の荘厳さ、西国三十三所一番札所の青岸渡寺をめぐり終えた充実感とともに、忘れることのできない光景です。


余談になりますが、この小旅行中にメールで、家内の友人の 浦地瑞穂さんから “熊野を訪ねているのなら是非立ち寄ってみたら” と薦めていただいたところがあります。

ひとつは 中辺路の福定の大銀杏、もうひとつは 新宮の神倉神社です。

そして、熊野速玉大社近くのお菓子屋さん・香梅堂の鈴焼き。


福定の大銀杏は、まだ青々として 黄葉には早すぎましたが、推定樹齢400年、胴周り6m、高さ22m、イチョウの木らしからぬ こんもりした おおらかな姿をしています。

その訳は、はるか昔 地面から数メートルのところで その主幹を失い 死にかけた命が、そこから幾重もの枝を天に伸ばして生き延びた 壮絶な姿だからでしょう。

真っ青な空に 緑の息吹を吹き上げんばかりの大銀杏から、生きる力を どっさり与えてもらった気がしました。


熊野の自然信仰の祖と崇められる 天磐盾(あめのいわたて)そのものがご神体という神倉神社は、2月6日夜に執り行われる お灯祭りという古儀の特殊神事で名高く、白装束に身を固めた祈願者が神火を松明にうけて急坂(源頼朝公ご寄進の鎌倉式石段)を駆け下りる 壮観な火祭りだそうで、機会があれば観てみたいものです。

その壮観な火祭りを想像しながら、天磐盾へと続く急な石段を恐る恐る見上げました。


香梅堂では、鈴焼きを 孫たちへのお土産とは別に 小袋入りを求め、車中で味見しました。

一口カステラみたいなものですが、口に放り込むと 黄味の香りが ほわーっと広がる 懐かしくてあったかい味がしました。

きっと 孫たちも喜ぶことでしょう。


佐藤春夫の歌碑について間違ったことをお話したことのお詫びのつもりが、私事のことで話が長くなりました。

改めて、佐藤春夫記念館を見学できたことのお礼とともに、失言をお詫びいたします。




平成19年11月7日
山田延彦
(11月4日、佐藤春夫記念館を訪れたものの ひとり)


佐藤春夫と西村伊作展のパンフレット
佐藤春夫旧宅のサンルーム
熊野川 夕景
熊野川 朝景
大門坂
福定の大銀杏 全景
福定の大銀杏 その幹
神倉神社の石段
香梅堂の鈴焼き





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