YAMADA IRONWORK'S 本文へジャンプ
1.17


1995年から20年
「阪神淡路大震災1・17のつどい」へ初めて行きました
平日だと早朝行く事は難しく・・・と言うのは 言い訳にしかなりませんが





朝5時から 「1995 1.17」の形に並べられた竹灯篭 約1万本に明かりが灯され始めます





「阪神淡路大震災1・17希望の灯り」から分灯された ろうそくの灯りを この場にいる人たちが
代わる代わる受け取り 竹灯篭に灯りを入れていきます

私も 「どうぞ」と譲ってもらったろうそくで 数本の竹灯篭に灯りを入れさせてもらいました





5時46分の時報と共に黙祷
この時点で1万人以上が東遊園地に集まっていましたが 黙祷の間 すすり泣きされる音以外何も聞こえませんでした

黙祷の後 会場に神戸復興を願い作られた歌 「しあわせはこべるように」が流れると 周りの人が一緒に口づさんでられるのが聞こえました



関西電力ビル 「20 1.17」の 窓明かり






私は 阪神淡路大震災も 東日本大震災でも 知り合いや身内を誰一人亡くしてはいません
でも 20年前の1月17日 朝一番にテレビで観た神戸の街の映像は
4年前の3月11日 津波が押し寄せる映像は 一生忘れる事が出来ないでしょう
阪神淡路大震災の時 「どうしよう どうしよう」と思いながら何も出来なかった事は 未だに悔いとして残ります

この日 親に連れられて来ている幼稚園や小学生ぐらいの子供たちが たくさん居ました
震災後生まれた子たちです
きっと今は 夜中に起こされて人がたくさん居るところへ行く 普段とは違うイベントのように感じていると思います
でも記憶には残って 大きくなるになるにつれ 「何故行ったのか」わかる日が来るはずです

20年を節目に追悼イベントを終了するという話も耳にしますが 震災で大切な人を亡くされた方々には節目なんて無いでしょう
残された者には いつまでも悔いと悲しみが残るのでしょう
亡くなった方6434名 未だに行方不明者とされる3名 全て天寿全う出来なかった命なのだから
後世に語り継ぐきっかけとなる事は 続けて欲しいと思います

神戸の街は 倒壊した建物や 崩れた駅も 早くに復旧しました
三宮や元町は 何も無かったかのように華やいでいます
でも 長田の町を始め 現在も色々な問題を抱えている地域もたくさんあります
「復旧」はしましたが 「復興」はしていない
それが本当だと思います

津波や原発の被害があった東日本大震災とは 比べられない部分もありますが 16年後の東北が 同じような復旧しか進んでいないなんて事は 何とか避けていて欲しいと思います

20年前 幼稚園児で 現在防災の仕事をしている方のお話で忘れられない言葉があります
「救えるはずだった命がたくさんあった」

これだけの被害を知っているにも関わらず 「自分には起こらない」と思ってしまいがちですが いつ何が起こってもおかしくないと教訓にする事が 亡くなった方々からの教えだと思います

自然災害や戦争で亡くす命が無くなる事を 願ってやみません




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