東北 5 |
去年の3月11日は
屋久島で白谷雲水峡トレッキング
慰霊登山をしていました
今年は宮城県にて
約3年振りの仙台です
フリーマガジンの取材では1泊2日
移動時間が多く観光地も滞在数分
・・・と慌しかったので
今回は初めて2泊3日で
旅と言える時間を過ごして来ました
10日の10時に仙台駅到着
現地集合の友達と合流して
電車に乗って女川へ
女川町は東日本大震災で
死者574名
死亡認定者253名
(H27年3月時点)と
大きな被害の出た女川漁港のある町です
現在の女川駅は
2015年12月にオープンした
「シーパルピア女川」と 「ハマテラス」によって
綺麗な町並みが海側の道路まで続いています
海側から駅を見るとこんな景色で
駅側から海側を見るとこんな景色
震災機構として 旧女川交番が残される事となったそうで
今はその横倒しになった建物を囲んでの工事が進んでいました
翌日3月11日のお昼過ぎ
仙台駅から名取駅へ
名取駅から閖上までは車でしか移動が出来ず
駅からはタクシー利用
着いたのは13時半ごろ
既に沢山の人が集まっておられ献花の列が出来ていました
「東日本震災慰霊碑」の高さは
8.4メートル
この地を襲った津波と同じ高さです
画像では伝わりませんが
実際に見るとその高さに驚きます
慰霊碑左右の芳名板には碑文と
名取市で震災によって犠牲になられた
944名のお名前が記されています
彫られた名をいくつもなぞっておられるご年配の方の姿が
頭に残っています
旧閖上中学校敷地跡に 「閖上の記憶」はあります
閖上中学校の生徒14名が津波によって犠牲となり
遺族会によって慰霊碑が建てられ
社務所のような役割を持つ施設です
今回がこの地での最後の慰霊祭で
来年からは新しく建てられた中学校に
慰霊碑が移されるそうです
午後2時46分
「黙祷」の声と共に大きく鳴り響いた防災無線からのサイレン
地震から津波までは1時間6分ありました
あの日このサイレンが鳴っていれば・・・と
本当に悔しく思います
メッセージを書き込んだエコ風船を一斉に放つと
鳩の形の白い風船は
ひとかたまりになって
真っ青な空に上がっていきました
「届け!届け!」
みんなで叫びながら
心に思いながら
見えなくなるまで見上げていました
タクシーの運転手さんから
「帰りのタクシーは渋滞して無理ですよ」と言われていたので
閖上から美田園駅までは徒歩となりました
ここでの時間が仇となり
1番の目的だった夕方6時からの
「東日本大震災メモリアル・イベント~未来へのエール」
第1部に間に合いませんでした
以前取材させて頂いた平了さん率いる
『青空応援団』が
『みやぎ復興応援団』の子供たちと一緒に
エールを送るという時間
崩れ落ちる程のショックでしたが
第2、3部は見させて頂きました
第3部の「オリジナル・ラブ」田島貴男さんのステージは
勢いと一緒に明るくなれるパワーが
会場に放たれるようで
私も少しショックから復活したような・・・
田島さんは震災後 平さんを中心に活動していた
「スコップ団」に参加されています
真っ赤なツナギで頭にタオルを巻く姿さえも
パワーが溢れていた
ステキな人です
3月12日
2日間一緒だった友達と別れ
1人で松島まで
以前数分だけ立ち寄った観光地の中の1つ
今回はゆっくりと遊覧船にも乗船
松島はこの島々が防波堤の役割をして
被害は少なかった・・・と言われますが
それ故に島の一部が波で崩れたりしています
そして道路沿いの建物にある
「ここまで津波」と言う文字は
私の身長をはるかに越える高さにありました
観光地を復興させないと
観光客に来てもらえないからと
松島の復旧作業は早かったそうです
この日は平日でしたが
遊覧船に乗る人も
道を歩く人も多く
にぎやかさの有る場所でした
最終便で帰るのが当たり前だったので
今回初めて夕方便に乗って
町を見下ろしました
仙台空港から南側沿岸部
大きな川は阿武隈川です
茶色い
海沿いはもっと茶色い
どうなって行くのだろう
わからないけど
どう変わって行くのだろう
また来ますね
伊丹空港着陸前の街
街は明る過ぎる
これは行きの飛行機から
山々の頂には雪が積もっていて
白と青の境目は少し湾曲していて
地球儀みたいな光景でした
空から見る地球は
とても綺麗です
この旅でも沢山の方々と知り合いました
『欅ゲストハウス』は4年振りの再訪
入口のカウンター・バーで
他の宿泊者とお酒を交わせます
宿のスタッフも元々バックパッカーで
泊まってそのままスタッフになっていたり
楽しい場です
大体が20代の人達ですが
しっかりした考え方をしている人が多いですよ
日本の未来も捨てたもんじゃない気がします
スタッフの1人とは閖上にも一緒に行きました
初めて東北でこの日を迎えた彼は
どう感じたのだろう
その後話す時間が無かったのが残念です
女川での昼食時
相席になったおじさんに
「このお魚何でしょう?」と聞き二言三言会話をしたのですが
帰りの電車も一緒で
(本数が少ないので確率が高い)
「旅は道連れ ご一緒しましょう}と
3人で話しながら仙台へ戻りました
車内で渡した
「のど飴のお礼に」と晩御飯をご馳走してくださり
(たった1個の飴だったのに)
地元の食とお酒を楽しませて頂きました
お年は70歳
東京からの方
「のど飴のお礼にって何かカッコイイよなぁ~」と
いまだに友達と言っています
取材で来ていた頃は
見たり聞いたりする情報の多さに
体も頭も心も追いつかず
何をしても何の役にもならないと
無力感を感じる事の方が多かったのだと思います
ただただ単に東北へ
会いたい人に会いに行く
行きたいところに行く
今回はそんな3日間だったのですが
これも良しと思います
次はいつ行こうか
仙台空港を飛び立って京都の自宅まで2時間半
こんなに近いのだから
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