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玉盛機にまつわるお話

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製麺機械のひとつに、玉盛機という機械があります。
玉取機ともいい、茹で上がった麺を冷水で洗ったあと、一定の量目(200g)の塊(麺玉)に分けていく機械です。
一度縺れた糸を解すのに骨が折れるのと同様に、長い麺線が絡み合った ひとかたまりの茹麺(4~5Kg)から 205g±5gの麺玉を すばやく取っていくのは至難の業です。

当社の先々代社長は ある時期、玉盛機の開発に情熱を燃やしました。昭和38年頃のことです。
特許も2件取得し(特許第516768号ほか)、装置としては90%がた完成していましたが、水流整列用に水を多量に使用するため 麺がふやけ気味になること、量目を揃えるシャッターで 麺線を切る際に短麺が生ずることなど、完璧な結果が得られなかったため、営業商品にすることを諦めたようです。
それから40年以上経ちますが、いまだに満足のいく玉盛機は生まれていません。

昭和40年代に入って、一食茹での茹麺機が登場します。
これは、生麺を茹釜に切り落とす段階で 茹で上がり 200gの茹麺になるように調量した生麺を、仕分けされたバスケットに投入して、そのまま茹で湯にくぐらせ 連続して冷水で洗う、という装置です。
水洗バスケットから出た麺玉は所要の量目になっており、玉盛機を必要としません。
量産を目指した時期と重なり、一食茹での茹釜機は 製麺機械の主流となりました。

昭和60年頃にはすでにセイロ盛りの裸茹麺は 包装茹麺に取って代わられていましたが、冷凍茹麺が市場に出回りだした頃から、包装チルド茹麺も除々に生産量が減少していきます。
玉盛機が「忘れ去られた機種」に甘んじた時期です。
しかし、時代の流れが多品種少量生産 そして新鮮重視に移行しだしてから、玉盛機が再び注目されつつあります。
私も、玉盛機の需要ありと判断して、父の手掛けた玉盛機の開発に再挑戦した経緯があります。
昭和55年頃のことです。
水流で麺を解すという手法を捨て、人間が手盛りする過程を 忠実に機械化しよう と試みました。
そのとき見聞した人間の職業技のすばらしさを、実はお話したいのです。


お得意さんの製麺業者の麺工場に早朝お邪魔して、熟練した作業者が 洗い槽から笊にあけられた 20~30食分の茹麺の山から、ひと玉1.5秒の速さで200gの麺玉に仕分け、セイロに4×5列の20食の麺玉を配列していく様子を、 何日も何日も観察しました。
観察するうちに、作業者の身のこなし、無駄のない動き、茹麺の山に指を突っ込んだ瞬間に ほぼ200gを右手で感知して掴み、それを左手で持った木椀に向けてさっと投げ、椀に掛かる麺玉の強さで 200gを瞬間確認すると同時に、 稀の過不足をさっと補正し、椀の中で麺玉を整えて、セイロに4×5列となるよう落としていく、という 一連の目にも止まらぬ速さで進行する人間技を、実にすばらしいと思いました。
少々の機械的知識を持ち合わせただけの技術屋では到底かなわないと感じました。

いま、あの職人技を見ることは、多分できないだろうと思います。