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鶴林寺のアイタタ観音

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白鳳仏という、仏教彫刻群がある。
美術史的には、大化改新の行われた645年から 奈良に都が遷った710年までの約60年ほどの間に造られた仏像を指す。

白鳳時代は、日本の仏教美術の黎明期である飛鳥時代から その最盛期の天平時代への橋渡しの時代であった。

白鳳仏の特徴を顕著に持つ作品の代表例が、以前 この欄に投稿して紹介した『山田寺の仏頭』 であり、そして今回紹介する 『鶴林寺のアイタタ観音』 である。


学生時代 わたしは、 「美研(美術研究会の略)」というサークルに所属していた。
このサークルは、美術 特に古代建築や仏教彫刻に興味を持つ仲間が集まって鑑賞の旅をしたり、学術的に美術作品を究めて学園祭の場で発表したり といった活動をしていたが、実際のところは サークル顧問の上野照夫教授の 学識と人格を慕って集まった 仲間の感が強かった。

上野先生は、インド古美術の権威者であるが 優れた教育者でもあり、美術を愛する われわれ学生を 暖かく導いてくださった。

先生のお話には インド美術にまつわるエロティック漂う上品な挿話が必ず聴けるというので、 講義はいつも満員であった。

美研の一年先輩で、加古川出身の女性がいた。
彼女からよく聞かされていたのが、鶴林寺のアイタタ観音である。

「加古川にも とっても愛らしい仏像があるのよ」 と、彼女はちょっぴり自慢げに言っていた。

時間がたっぷりあったはずの学生時代にも またその後も 残念ながら 『鶴林寺のアイタタ観音』 を拝する機会はなかった。


西国三十三箇所巡礼満願のお礼に 発起寺である書写山円教寺を再訪し、この機に 帰路にある鶴林寺を訪れた。

目当ての 『アイタタ観音』 は、想像していた等身大の観音像よりはるかに小さな 像高80cmちょっとの、美研先輩の彼女が言っていた通り、まことに初々しく愛らしいお姿である。

切れ長の わずかに上のほうを夢見ているような目、片方の下唇をちょっと攣らせて 笑いを堪えたような口、赤いほっぺを彷彿とさせる頬、山田寺の仏頭と同じように 眉から突き抜けるような凛々しい鼻。
腰をちょっとひねって立つ細身の体躯は、童顔のお顔に よく似合うと思われる。

質素な宝物殿の中央に ガラス張りで安置されたお姿は、どの位置からも間近に拝することができ、わたしは 像の右斜め前から拝するお顔に 強く惹かれた。

それは、親しい幼子のいちばん綺麗な顔であり 人間のぬくもりそのものである。

こんなに身近に感ずる仏像を、いままで見たことがない。


伝説に、この像を盗んで溶かそうとした賊が 腰を槌でたたくと 「あいたた」 という声が聞こえたため 賊は驚き 改心して像を返した、とある。
アイタタ観音の名は この伝説から由来するが、たたかれた腰は 曲がったままということになっている。

幼児は、人を救おうなどと思って 微笑んでいるわけではない。
しかし 幼児の無心な微笑みに接するとき、人は 安らかな気持ちになる。
こっちも楽しくなる。

アイタタ観音の微笑みも、そういう幼児の微笑みに近い。
この微笑に接すれば、悩みを打ち明け語りかける前に 心が和んでしまいそう。
そんな悩みなんか 吹っ飛んでしまいそう。


朝鮮半島の優れた仏師の手になる飛鳥仏から その技法を学んだ日本人の手になる天平仏へと 移り変わる過渡期に、親しみのあるお顔と 古拙な香りを残すお体を一体に持つ この聖観世音菩薩・アイタタ観音は、畏仰と愛慕の交錯する見事な調和の白鳳仏として 生まれたものであろう。


加古川の先輩ならずとも、このアイタタ観音は、日本人の誇れる宝物に間違いない。