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ラーメン賛歌

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わたしは、舌に自信がない。
味覚音痴の部類である。
だから、余計、これだけは我を通したいという食べ物に こだわるのだろう。

その一つが ラーメンだ。
ほかの食べ物は、自信がないから、味覚の確かな人が薦める店や グルメ雑誌お勧めの店を こわごわ潜ることが多いが、こと ラーメン店に関しては、持てる五感を研ぎ澄ませて 自分自身の感覚で選びたいと 常々心がけている。

正直言って、ラーメンには 確かな味覚なんぞ要らない(と思っている)から、こんな格好付けができるのです。


だいたい、いまどきのラーメン店は 気取りすぎが多くていけない。
ラーメンは 庶民の食い物であって、価格にして 500円 600円ってところでしょう。
したがって、フツウのラーメン屋で そんな大層な店構えやサービスが できるはずがない。

ラーメン屋は うまくやれば事業的に儲かるんだということは、理解している。
でも、わたしの頭の中の理想のラーメン店は、フツウのラーメン屋だ。

フツウのラーメン屋の持っている 素朴で気取ってなくて寛大で、そういう雰囲気が好きなんです。
だから、ラーメンも いわゆる “支那そば”、どこまでが日本で どこからが中華だか曖昧な 中華そばでいい。

ただ一つの条件は、アツアツであること。
ぬるいラーメンだけは いただけない。
スープに好みはないが、豚骨は苦手。しょうゆ味がいいかな。
麺は、どちらかというと しっかり茹だった細めのストレート麺がいい。
具は、二切れ三切れのメンマと一枚のチャーシューがあれば 十分。
くだくだしい盛り付けは、要らない。

けっこう 好みを言っていることになるが、要するに 気取ったラーメンは嫌いと言うことです。

ラーメンには、孤独が似合う。
無口も似合う。
なによりもラーメン屋自体、独立独歩、権威や中央におもねることがない。
ひとりひとり 一国一城の主でいられる。

だから、ラーメン屋のおやじは 客にへつらう必要がない。
自分の信ずるところを 推し進めていけばいい。
客も、嫌なら ろくで食わずに出て行けばいい。
損しても 高々1000円にもならない。


ラーメンというのは、かくも潔い食い物なのです。