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マックァーサー

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物心ついた頃、私は西大路通り姉小路角に住んでいました。昭和24、25年の頃です。
西大路通りの向かいに 島津製作所三条工場の西大路側の大門があり、当時 進駐軍に接収されていました。

あの頃に幼児期から少年期にあった方なら 記憶がおありと思いますが、ジープに乗ったアメリカ兵が投げてくれる チューイングガムや 板チョコ欲しさに、餓鬼どもがジープのうしろを われ先にと追いかけるのです。
まだ速く走れなかった私は、その餓鬼どもの群れの最後尾を よたよたついて行ったのでしょう。
後続のジープに轢かれかけたのです。
さいわい転んだだけで 擦り傷ですみましたが、後続のジープに乗っていた親切な黒人兵が 手当てをしてくれるつもりで、私を進駐軍構内の医務室のようなところへ連れて行ってくれました。
そのあたりから記憶は曖昧になります。
はっきりと覚えているのは、私を抱いてくれた黒人兵の真っ白い歯と真っ白い手の平 そして体臭です。

後になって祖母から聞いたのですが、進駐軍構内で迷子になった私を 母が気違いのようになって探し回ってくれたそうです。
遠い遠い記憶です。

ユニセフミルクで育った世代には、アメリカはとてつもなく偉大な国であり、その頂点に君臨したのがマックァーサー という絶対的に偉い人だという認識でした。
片言のカタカナを覚えかけた私が詠むことのできる新聞の見出し「マックァーサー」という字の人が とても大きく思えたのです。
大人同士の話のはしばしに聞く「マックァーサー」は、封建制度を打ち破って日本を民主主義の国にしてくれた恩人であり、戦争のない平和な国 日本を築いてくれる救世主だったのです。

今から思えば、占領されたのに占領軍と言わずに「進駐軍」と親しみをもって呼んでいたのも、また 昨日まで殺しあった敵であり、あれほど鬼畜米英と蔑んでいたにもかかわらず、その敵国アメリカの見たこともない最高司令官マックァーサー を天皇以上に崇めたことも、不思議と言えば不思議なことです。

なぜ今、マックァーサーの話を持ち出すのか。
それは 安部政権のもとで推し進められようとしている憲法改正に対しては、もう一度その成立原点を しっかりと見直して対応しなければならないと考えるからです。

確かにあの敗戦から60年以上経ち、憲法成立当時の日本と今とでは状況が大きく変わっています。
だからといって、現憲法成立当時のマックァーサーが描いた理想の国づくりの精神が 古びてしまったとは思いません。
憲法九条に盛り込んだ戦争否定の哲学も、マックァーサーの強い信念に基づいたものと確信します。
マックァーサーの経歴がどうであれ、また 昭和26年に帰国してからの彼の発言がどうであれ、彼が日本に君臨した2000日の精神は、崇高だったと信じたい。

人間は二度死ぬと聞きました。
一度目は ご臨終です と宣告されたとき、そして二度目はその人を覚えてくれている人がこの世にいなくなったとき。
だとすると、マックァーサーもそろそろ二度目の死を迎えるときなのかもしれません。
だからこそ 二度死ぬ前にもう一度、あの崇高だった精神を 蘇らせたいのです。