YAMADA IRONWORK'S 本文へジャンプ
古代ロマン

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10月3日、奈良東大寺三月堂を訪ねた。
古い朱印帳を見ると、昭和35年11月28日参拝とあるから、実に48年ぶりである。

秋晴れの心地よい風が、奈良公園の深い木立を吹きぬける。
東大寺南大門に近づくと、外人観光客や修学旅行の生徒たちで たいへんな賑わいだ。

大仏殿を正面に拝み、右の石畳の道を だらだらと登っていく。
ここらあたりまで来ると、あの賑わいは遠くに低く小さく響いて、枝の合間から眺める空が 静けさを増すように青い。


三月堂を訪ねたいと思ったのは、月光菩薩をじっくり拝みたかったからだが、堂に入ると 中央に立つ3m60cmの不空羂索観音像の雄渾な容姿が眼前に拡がって、 他にたくさんの仏像があることに一瞬気づかないくらいである。

その両脇侍に 日光・月光菩薩の二躯が立っているのだが、不空羂索観音像の大きさに眩んで 思いのほか小さいお姿であることに、まず驚かされた。
薄暗さに眼を凝らして、月光菩薩像に見入る。

不空羂索観音像の すべての凡夫を漏れなく救わんとする祈りの力強さに比べ、日光・月光の両菩薩像の なんと静謐な祈りのつつましさであることか。
他人をも自分をも思慮せず、内面に漲る生命を宿して 月光菩薩像は静かに祈っている。

堂内の薄暗さに慣れた眼に、しだいに仏像群が迫ってくる。
3mを超える背丈の 阿吽金剛力士両像、それらの後に聳え立つ4mの 梵天像・帝釈天像、内陣の四隅に立つ 四天王像、それらに隠れるように立つ 吉祥天・弁財天像・・・

これらを仰ぎ見るとき、私は 一瞬ではあるが 自分の存在を忘れることができた。


三月堂を出て 暗さに慣れた眼に、二月堂の高舞台が眩しかった。
二月堂の秘仏観音を格子越しに拝み、趣きある登廊を下って、大仏殿を南に臨む北側の古道を そぞろ歩いてみた。

奈良の寺院は やはりスケールが大きい。
そして 今の奈良は、ここを訪れるものたちを 天平の昔に連れて行く静けさと品格を 保っていてくれる。

奈良を また訪ねてみたいと、心底思った。



〔追記〕
10月24日付けの朝日新聞の一面に、《新薬師寺に巨大金堂跡》 という見出しが載った。
現存の新薬師寺本堂から 西に150mの位置(奈良教育大学内)に、大仏殿並みの建物が 存在したらしい というのだ。
大仏殿とは 目と鼻の先に、である。
聖武天皇が建てた大仏殿は 今の建物よりもっと大きかったと言うから、天平の時代 大仏殿と この新薬師寺金堂に挟まれた ここらあたりの荘厳さは、いかがばかりであったろう。
考えただけでも、ゾクゾクするようなスケールだ。
天平時代という、大ロマンである。