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筑紫哲也なら どう評しただろうか

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ジャーナリストの筑紫哲也が 亡くなった。
彼のニュース番組を見るのが、一日の締めくくりだった。
激しく評しているのに 常に穏やかな口調で語る筑紫さんの人柄に、その評論とともに 惹かれた。
口を少し歪めて 「多事争論」 を語る あの白髪の姿は、もう見られない。


田母神・元航空幕僚長の論文が、話題になっている。
原文を読んでみた。
論文というよりも 感想文であろう。
田母神氏は、二つの大きな誤りを犯している。

一つには、歴史、ことに近代史に対する甘さである。
彼は、わたしと同様、先の戦争を知らない世代である。
したがって、戦前・戦中のはなしは、体験談ではない。
論じていることは すべて何らかの資料に基づくものであって、その引用も 自分の好みに見合ったもののみである。
歴史というものは、そんな側面的な見方のみで 正しく論じられるものではない。

特に 近代史は、「とき」 という洗礼を受ける度合いが乏しいだけに、早合点に陥りやすい。
あの 驚異的な歴史認識を蓄えた 司馬遼太郎でさえ、近代の歴史小説を描くときは 震える思いで机に向かった と語っている。

田母神氏は、歴史認識があまりにも甘すぎる。
「私の感想に過ぎないが・・・」 と、断ってから書くべき内容であろう。


二つめは、公人と個人の差の 認識の欠如である。
自分の思いを どうしても懸賞論文に応募したいのなら、“防衛省航空幕僚長 空将” などという肩書は ひた隠しにしなければならない。
ペンネームでも 使えばいいだろう。

田母神氏がトップの司令を勤めていた小松基地では、航空幕僚教育課が 幹部を対象に 同じ懸賞論文のテーマを 指導の課題に引用していた というから、驚きである。
航空幕僚長といえば、航空自衛隊のトップであろう。
われわれ中小零細企業のトップですら、立場上 誤解を生むような“書き物”は遠慮しているのに、 航空自衛隊のトップという公の立場の認識が 田母神氏には あまりにも貧弱すぎる。
言論の自由を行使したいのなら、在野に下って 言いたいことを言えばいい。


田母神俊雄という人物を正しく知っているわけではないが、彼が 日本というこの国を愛していることは、 論文を通して伝わってくる。
自衛隊のトップの一人として 自衛隊員に自分たちのやっていることの意義みたいなものを与えてやりたい という気持ちも、判らないわけではない。

自衛隊は 難解極まる存在であり、いままでの日本にとっても これからの日本にとっても 難問中の難問であろう。
しかし、目指すものは 日本国憲法に明記された 「恒久の平和」 だ。
田母神氏に、われわれの憲法の 『前文』 だけでも もう一度読み直して欲しい。

戦争は 人間の為す最大の罪悪であることを、私たちの親の世代が体験した あの筆舌に尽くしがたい惨状を、想像して欲しい。

われわれは、『政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすること』 を 決意したのである。

自衛隊というむずかしい存在を、「恒久の平和」 の実現に役立つ方策として 考えてもらいたいと、切に願う。


筑紫さんが生きていたら、この問題を どう評したであろう。
たぶん、絶筆となった一文の 締めくくりと同じように、「歴史は繰り返さず、人間は変わるものだ---と信じたい」と言うと、わたしは思う。