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嵐電に乗って

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ガタン、ガターン、ガターーン、ガターーーン・・・
路面電車・嵐電は、ゆっくりゆっくり 三条通りを西へ行く。
車道に寄り添うように盛られた 細長い乗り降り台だけの 山ノ内駅を出てすぐに、嵐電は地下鉄・東西線との連絡駅 として新しくできた 天神川駅に着く。
次の蚕ノ社駅は、もう そこに見えている。

そして、太秦広隆寺駅。
この駅に立つと、訳のわからない懐かしさが 込み上げてくる。

太秦の住人になったことはないのに、この駅と一体の文房具屋さんと ふとん屋さんが、 昔からのお隣さんであったような錯覚に陥ってしまう。
文房具屋さんは 昔とずいぶん変わったし、ふとん屋さんは お店を閉ざしているが、この駅に漂う雰囲気は 昔とちっとも変わりはしない。

広隆寺へは、久し振りの参拝である。
あの弥勒菩薩に 無性に会いたくなって、思い切って訪ねてみた。
こんなに近くに住んでいるのに、山門前の三条通りは しょっちゅう利用しているのに 広隆寺の境内に踏み入るのは、50年ぶりだ。
もっと荒れた寺のように 記憶にはあったが、境内は ずいぶんすっきりとした印象を受けた。

国宝一号の弥勒菩薩半跏思惟像は、奥のほうの 真新しい立派な霊宝殿に安置されていた。
広く薄暗い空間の周囲に たくさんの仏像がぐるっと並んだ中央に、三体の弥勒菩薩、その真中に一段高く安置された半跏思惟像。

前回は、ずいぶん前だから 記憶もおぼろだが、もっと近くに拝することができて、しかも 周囲がもっと明るく 背景が白っぽかったからか、お顔をはっきり拝むことができたように思う。

弥勒菩薩半跏思惟像は、だからと言って その魅力が増減するわけではない。
立派な建物の中でも、薄暗い照明の中でも、関係なく 無条件に素晴らしい。
素晴らしいという表現は、この仏像には 薄っぺら過ぎる。
わたしの貧しい言葉では、表現する術を知らない。

ドイツの哲学者・ヤスパースの表現を、助けとしたい。


私は、今迄哲学者として、人間の存在の最高に完成された姿の表徴としての、色々のすぐれた芸術作品に接してきました。
古代ギリシャの神々の彫像も見たし、ローマ時代に作られた、多くのキリスト教的芸術作品も 見てきました。
しかしながら、それらのどのものにも、まだ完全に超克され切ってしまわない、単なる地上的人間的なるものの臭いが残されていました。

・・・ところが、この広隆寺の仏像には、本当に完成され切った人間 『実存』 の最高の理念が、あますところなく表現され尽くしています。
それは、この地上におけるすべての時間的なるものの束縛を超えて達し得た、人間の存在の最も清浄な、最も円満な、最も永遠な姿の表徴であると思います・・・



弥勒菩薩三体、向かって左に 天平仏の弥勒菩薩坐像、右に 百済伝来の泣き弥勒、そして中央の国宝一号・弥勒菩薩半跏思惟像、これらの中央祭壇の前に 畳敷きの参拝スペースが設けられている。
わたしは、この畳の上に坐って ぼーっと拝観していた。

しばらくして、先日久しぶりに読み返した 小林秀雄の 「モオツァルト」 というエッセイのなかの一文を ふっと思い出した。


・・・美というものは、現実にある一つの抗い難い力であって、妙な言い方をする様だが、普通一般に考えられているよりも実は遥かに美しくもなく愉快でもないものである。・・・


中央の弥勒菩薩像は、わたしにとって ほんとうに美しいと言えるのだろうか。
素晴らしいとは思うが、少なくとも 愉快なものではない。
50年前に感動した(と思い込んでいる)ものは、一体なんだったのだろう。

右の泣き弥勒、百済伝来とされる ふた回りも小さな弥勒菩薩半跏思惟像を、まじまじと拝した。
ひょっとしたら、わたしの脳裏に焼きついていたのは、こちらの泣き弥勒ではなかったか。

その愛称の名の通り いまにも泣き出しそうなお顔は、決して美顔とは言いがたく、でも 会いたかったのは やはり この仏像であった、そう確信した。

やっと 落ち着いた気持ちになれた。
満足感に浸りながら、帰路も嵐電に乗る。

20人ほどの女子学生の集団で 一両きり電車は賑やかだ。
とびっきり明るい奇声が 飛び交う。
他の客も それほど迷惑そうでもなく、奇声の発信地へ視線を投げている。
そんなことにはお構いなく、嵐電は ガタンゴトン、ゆるゆると走る。
マイペース、マイペース。
『モボ301型』 嵐電だ。

広隆寺の弥勒菩薩像に会いに出てきたつもりだったが、ひょっとしたら このマイペースの嵐電に 乗ってみたかったのかな。
きっとそうだと、波長の合う揺れに身を任せながら 思った。



広隆寺山門前を走る 『モボ301型』 嵐電
嵐電(京福電鉄 嵐山、北野線) ホームページ画像より