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故郷忘じがたく候

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人は、生まれたそのときから 望郷の悲しみを抱いて生きるように 仕込まれているようです。

誰しも 故郷を持ちます。
同じところで 一生を過ごす人は、稀れでしょう。
動けば 元居たところが、故郷。
故郷は 遠くとは限らない。
隣町でも 元居たところなら、故郷です。

生きた証しは 「ふるさと」 に詰り、故郷を思うとき 懐かしさと同時に えも言われぬ悲しみを 抱かざるを得ません。


期限付きの 「生」、 “限られた時間” を与えられたに過ぎない、人間の毎日の営み。
今を生きると思い込んでいる 「いま」 は、そう思った瞬間に もう 「過去」 となっています。
いずれ 「想い出」 となる 「過去」 を せっせせっせと紡いで、 “限られた時間” を過ごします。

紡いだ 「過去」 は、紡ぐ 「いま」 が貧弱になるにしたがって 膨らみ、懐かしむ対象、「想い出」 と化す。
そうして、想い出は 悲しみを引き連れて、生きることと悲しむこととが 一つになり、 ついには 想い出がその人を占領してしまい、 『想い出に生きる人』 となってしまうのです。


孫たちの、面白くてしょうがない といわんばかりの 「いま」 の行動は、好奇心の塊と表現したらいいのか、未知への好奇心に満ち満ちています。
彼らは、「過去」 など振り返らない。
彼ら幼子の振り返る 「過去」 は、無いに等しいからです。

成長して 人は懐かしむべき 「過去」 を持つようになります。
しかし、あとからあとから 洪水のごとく押し寄せる 「いま」 を生きるのに精一杯で、懐かしむべき 「過去」を 「想い出」 と呼ぶ暇がありません。

それでも ふと、立ち止まって 来し方を振り返ることがある。
それは、40歳前後のころでしょうか。



このホームページを担当してくれている水野里香さんに薦められて、重松清の小説を ここ数冊 続けて読んでいます。

実は、学生時代からの やり残しの主題みたいに、トルストイの 『戦争と平和』 を読みかけていました。
この小説を読破することが自分の義務のように いまでも思っていますが、2、3ページ読んだだけで、眠くなってしまうのです。

重みが違いすぎますが、重松清の小説は スイスイ読めます。
文庫本のページ数にして、50枚足らずでしょうか。
短編だから 一気に読み切ってしまえます。
短編と言っても それぞれの短編が上手に繋がっているので、つぎの短編に移るのが楽しみなのです。


登場人物は、ほとんど40歳前後。
ふと 過去を振り返る年齢です。
映画にもなっている小説 『その日のまえに』 の中に、『潮騒』 という短編が含まれています。


・・・同級生のカオちゃんが海で溺れ死んだ。
その悲しい記憶を抱いて、カオちゃんの友達らに 30年余りの歳月が流れる。

その一人、シュンは 余命三ヵ月の病を抱え、ふらふらと カオちゃんの溺れた海のある故郷を訪ねた。
因縁の友、でめきんに会ったシュンは、二人で カオちゃんの姿を最後に見た “かもめハウス” の砂浜を訪ね、 「生き残ってごめん」 の意味を噛みしめる。・・・



こう要約しても 何も伝わりませんが、冒頭の思いが ひしひしと迫ってくる作品です。

同じく 重松清作品 『送り火』 も、40歳ころの夫婦が主役の短編連作で、故郷を振り返る場面が たびたび出てきます。

その中の 『よーそろ』 という短編、少しトーンが違いますが、印象に残る作品です。


・・・普通電車しか止まらない私鉄駅に勤務する原島。
この駅では 飛び込み自殺が相次いでいた。

原島は、自殺願望の人間を見極める能力を持っており、仕事上 ついつい<命の恩人>になってしまう。
見えない自殺願望者に、駅舎にたたずむお地蔵さんの前掛けや構内ポスターを借りて さりげなく伝える彼からのメッセージは、「死にたくなったら ホームページ“ムラさんの世界放浪日記”を覗いてみませんか」 であった。

彼には むかし苦い経験がある。
先輩の ムラさんこと関本が、飛び込み自殺しかけのサラリーマンを助けようとして 巻き添えを食らい、 両足切断、 首の骨を折る事故を、目の前で見てしまったのだ。

その関本は いま、ホームページに新たな展開を加えようとしている。
アフリカから 地中海を渡ってヨーロッパを旅するのだ。
もちろん 空想で。

関本の更新されたホームページには、こう記されている。

< 「異常なし、このまま進め」いうんを、船乗りの言葉では、こない言うねん。
よーそろ!よーそろ!。
わしも、よーそろ!
あんたも、よーそろ!
あんたの目の前の水平線は「終わり」のしるしとちがうでぇ!>

今日も 原島は、ひとりの少年を助けた。
以前 アフリカ難民を描いた子ども向けのルポルタージュを 落ち着き無く読んでいた、 ヤバいなと感じていた小学生だった。

間一髪で正気に戻した少年の耳に、原島は こう囁く。
「ムラさんの日記、更新されたぞ」・・・



この短編の余韻は、いつまでも残りそうです。


『カシオペアの丘』 は 上下2巻、短編の多い重松作品の中では ちょっとボリュームのある作品です。
この作品にも、メリーゴーランドが出てきます。
作者は、よほどメリーゴーランドに思い入れがあるのでしょう。
「過去」 を振り返るのとメリーゴーランドの組み合わせ、その気持ちが なんとなくわかります。
わたしの場合は、サーカス、それも具体的に “木下大サーカス” かな。

この小説を、近江八幡からの帰り 新快速の車中で読んでいました。
座れないくらい込んでいることが多いのに、その日は時間がずれたからか 乗客はまばらで、 わたしは いつものように通路側の席に座りました。

後で気づいたのですが、斜め前の窓側に 利発そうな顔立ちの男子の(たぶん)高校生が座っていました。
沿線沿いの高校に通っているのか、この時間帯に乗り合わせるのも 少し不思議です。
読んでいて 熱いものがこみあげてきて、わたしの眼がしらが滲んでいたからかも知れません。
「なんという本を読んでられるんですか」 と、この男の子が、少し遠慮がちに でもはっきりとたずねてきました。

ちょっと気恥ずかしかったのですが、書名と作者を教えてあげました。
あの子も この本を読んでくれたら、なにか とてもうれしい気持ちです。

重松作品の新作 『とんび』 も、ぜひ読んでみたいです。
ここ当分は 『戦争と平和』 を棚上げて、重松作品が続くでしょう。



先日、水野さんと 立命館大学国際平和ミュージアムへ 『世界報道写真展2008』 を観に行ったときのことです。

自転車で 立命館大学の西南を廻っていて、彼女の小学校時代を過ごした家の付近を通りかかりました。
以前住んでいた家は 全く違った建物になっていたようですが、よく遊んだ そのすぐ近くの教会や、夜道はちょっと恐そうな抜け道など、彼女にとって このあたり全部が きっととても懐かしく、そして 本人しかわからない寂しさを感じているのではないかな、と思いました。
的外れな推量かも 知れません。


わたしは 10年ほど前までは、以前住んでいたあたりを通ると、きゅんと胸が痛くなりました。
唯一当時と変わらない街路樹、プラタナスの幹の古皮を、叱られて家出して幼いころにしたと同じように ペラペラ剥がしている自分がとても悲しく、当時を知る回りの人たちが ほとんどいなくなったことに思い至って、奈落に落ちるような孤独感を抱いたものです。

あのころ、家内のさりげない言葉が 実にありがたかった。
「楽しいことばや 明るい想い出を これからいっぱい貯めようよ。その貯金が わたしたちの老後を支えてくれると思うよ。」

今は、その場所を通りかかっても、枯れたか あるいは違う楽しい想い出に置き換わったか、悲しみはほとんど感じず、遠い昔語りの絵本を見るような 懐かしさが涌いてくるだけです。



司馬遼太郎の短編に、『故郷忘じがたく候』 という作品があります。
豊臣秀吉の朝鮮出兵時に拉致されて 鹿児島県の苗代川(いまの美山)というところに住み着いた70名余りの朝鮮人男女の、400年の歴史を題材にした短編です。

100年経っても 200年経っても 400年経っても、母国語を忘れても、故郷忘じがたく、薩摩焼きに託して 古朝鮮の遺風を今に伝える人々を、その末裔、第14代 沈寿官氏との出会いを通じて、司馬遼太郎は 尊敬のまなざしで描いています。

わたしの抱く望郷の念など、400年の望郷に磨きぬかれた沈寿官氏の念から比べたら、朝顔の露ほどにもならない ちっぽけなものです。

でも、わたしにとっては かけがえのない大切な 「ふるさと」、みんな それぞれが抱いている 「ふるさと」 に対して、
“故郷忘じがたく候” なのだと思います。