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ラジオが蒔いたかぼちゃの種

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とってもいい話をききました。
ラジオが蒔いたかぼちゃの種、というおはなしです。

わたしの住んでいるごく近くに、 「西ノ京文化サロン」 という地域文化交流の場があります。
西ノ京という 京都の古い土地柄の文化を 市井の人々のお話から掘り下げ、「市民みんなが文化人」を スローガンに、他の地域の文化とも交流していこう、という 庶民サロンです。

こういう場があることを新聞で つい最近知って たいへん興味が涌き、先日 第2回目の集いに参加させていただきました。

お話いただいたのは、FM79.7京都ラジオカフェを率いていられる 町田寿二さんです。
日本初のNPO運営の コミュニティFM放送局を開局されたときのお話には、 苦労して夢を叶えられた人のみがもつ 輝きを 強く感じました。

町田さんご自身は 元放送会社社員という経歴をお持ちですが、彼以外 放送には全くの素人の人たちばかりで、大会社の助けも借りず、役所に泣きつくこともせず、有志の熱意と努力で 放送局を立ち上げたときの喜び、そして はじめて 「京都三条ラジオカフェ」 の放送が受信できたときの感激を、京都の町衆の心意気に敬服しながら 語られました。


戦後 ラジオが日本国民に与えた影響は、連続ドラマ 「君の名は」や 「のど自慢」を引き合いに 出すまでもなく、計り知れないものでした。

しかし、皇太子と美智子さまご結婚、東京オリンピックなどのテレビ報道を境に、テレビ映像の報道威力に圧倒されて、耳からだけのラジオは 急激に衰退していきます。

ラジオの真価が見直されたのは、あの 阪神淡路大震災のときでした。
電話は不通、テレビは受信不可、家族の安否を知る手がかりは 地元のコミュニティ放送局のラジオ放送だけだったのです。
この放送局がカバーする地域には、外国人労働者が たくさん住んでいました。だから、8ヶ国語で放送したのです。

わたしも ほんのささやかなボランティアでしたが、その地域でお手伝いしたことがあり、 地元コミュニティFM放送が 地域の人たちにとって あのときどんなに頼りになったか、よく理解しています。

阪神淡路大震災の教訓から 各自治体が独自でFM局を開設するようになって、現在、220局になり、NPOのコミュニティ局も 12局に増えているそうです。
こんな、ラジオに関する四方山話も 興味深く聴くことができました。


これからのFM放送 というお話で、町田さんは いろいろな事例を挙げて その重要性を自信を持って強調されました。

ラジオは、テレビに比べ ずっと読書に近い要素を持っています。
視覚で端からイメージを限定されるのではなく、聴覚のみで膨らませる想像力が、読書と同様 人間の脳の活性化を促す、というのです。

そして もっと大切なこと、それは 人と人とのコミュニケーションに 一役も二役も役立っている という事実です。

人前や ましてカメラの前では とても話すことなどできない 引きこもりの子供たちが、姿をさらけ出さなくてよいマイクの前なら、リラックスできるカフェ風のスタジオなら、思っていることをすらすら話せる、という事実。

たまたま 三条ラジオカフェを訪ねてきた二人の引きこもり少年が流した掛け合い漫談風の放送が、ラジオを聞く機会の多い引きこもりの子供たちの たくさんの耳に届いて、 そこから 彼ら自身が連絡を取り合うようになり、だんだんその輪が広がっていった、というのです。


そのほか、いろんな事例を紹介していただきましたが、最後にお話いただいた 「ラジオが蒔いたかぼちゃの種」 は、 とても印象に残る話でした。

日本かぼちゃは、絶滅の危機とまではいかなくても、ある時期 西洋かぼちゃなどに押されて 生産量が極端に落ちたときがありました。
ある大手の放送会社を定年退職した元アナウンサーは、家庭栽培で得た日本かぼちゃのたねを5粒持っていました。彼は、退職の記念に 最後に誰憚ることなく 自分の気持ちを電波に乗せたて流したい、 それも大手の放送局でなく コミュニティFM局のような 自由な電波に乗せて語りたい、と思っていました。

京都三条ラジオカフェを選んだ彼は、いざ 自分の思いのたけを語ろうとしたとたん 長年プロとしてマイクに向かっていたはずなのに、思うように話せません。
そこで、持っていた5粒の日本かぼちゃの種のことを思い出し、「この放送をお聞きの方に 日本かぼちゃの種をさしあげます」 と話しました。

どうせ 申し込んでくる人などいないだろうと思っていると、なんと1000名を越える人たちから 分けて欲しいとの申し込みがあったそうです。
彼は、次の放送で 5粒しかないことを詫び、1年かけていっしょうけんめい日本かぼちゃを作って、来年 申し込まれた方全員に 種をお送りします、と約束しました。

1年後、彼は約束通り 1000粒の日本かぼちゃの種を送ります。
種を分けてもらった人たちの間で、こんなに大きく育ちました とか、肥料をどれだけ与えたらいいのですか とか、訪ねあい 励ましあいのコミュニケーションの輪が、拡がっていきました。
そうして、日本のあちこちで日本かぼちゃが育ち、無くなりかけた日本かぼちゃが 見事に復活しました。


ラジオの持つ ほのぼのとした可能性、夢があると思われませんか。