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奈良・佐紀路をゆく

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技藝天という、芸事なら なんでも叶えてくださるという仏さまがある。
奈良・秋篠寺に、その仏像は すっくと佇んでおいでだ。

晩秋の小春日和に、奈良を訪れた。目的は、秋篠寺の技藝天像。
それと、ほんとうは こちらがメインだったかも知れないのだが、ある雑誌に紹介されていた「秋篠の森」 を 覗いてみることだった。

西大寺から北西へ奈良交通バスで 10分たらず、東の東大寺あたりの賑やかさに比べ、 このあたり、佐紀路は 住人の息づかいが感じられるような ゆったりした静けさが漂っている。

秋篠寺には、9時30分からの拝観に 少し早く着いた。
南門から境内に入ると、清浄な森に踏み込んだみたいに、空気が澄んでいるのが肌でわかる。

目は、参道両側の庭園の 光るような緑をなす苔に吸い寄せられる。
見事だ。

朝陽が低い角度で斜めから照らす苔の輝きは、本堂への入場を待つ 願ってもない もてなし待合だった。


奈良の寺院の建造物を見るたびに思うことだが、屋根の雄大で優雅な広がりに いつも感嘆させられる。
秋篠寺の本堂は、鎌倉時代の再建ということだが、大棟の両端から四隅に下る 軽快な降り棟は、天平の寄棟造りの様式を色濃く残しており、その屋根の 素朴でおおらかな広がりに ただただ見入ってしまう。

技藝天像は、薬師如来三尊の須弥壇の 向かって左側に佇んでいるが、本堂に入るや否や まず そのお姿に吸い寄せられる。

2メートルを超える体躯の 艶やかにくねるプロポーション、ところどころに残る極彩色、ガングロな美顔、 インド舞踊の表情豊な手先にも似た 両手の動き・・・。
やや前傾して伏すお目に見つめられて、うっとりと ゆったりと 時間が流れた。昭和41年4月11日以来の、技藝天像との 至福の再会であった。


今回の奈良訪問の もうひとつの目的 「秋篠の森」 は 予約制とのことで、次の機会の楽しみとして 近鉄西大寺駅へ戻る。



一度おとずれてみたかった西大寺を、この機会に訪ねてみた。近鉄西大寺駅から すぐのところだ。

西大寺は、東の東大寺に対する西の大寺として、東大寺を建てた聖武天皇の皇女である女帝・孝謙天皇(のちの称徳天皇) が建てた寺である。

小学校の歴史で習って以来 とても気になる歴史上の人物のひとりに、『弓削の道鏡』 がいる。民間人で皇位を狙った、野心満々の怪物である。
極悪人として日本史をいろどる この人物を、わたしは なぜか気になってしかたなかった。道鏡にまつわる この時代の謎めいた歴史をたどるようにして 日本史を好きになったのも、弓削の道鏡のお陰と言えそうだ。

道鏡という人物、絶世の美男子だったらしい。
この道鏡を寵愛する余り 平城の都を京都に移さなければならない原因をつくったのが、西大寺を建てた女帝・称徳天皇なのだ。

平安時代に再三の災害や兵火に遭い、鎌倉時代に 名僧・叡尊の中興をみたが、その後も災害・兵火にみまわれ、創建当時の面影は わずかの伽藍と連綿として続く行事に しのぶしかない。

本堂で朱印帳の記帳をお願いしたご縁で 寺の歴史をひととき説明いただいた寺守さまから、本堂前の老木菩提樹の実を 三粒お分けいただいた。
なぜか無性に悲しく、その三粒の菩提樹の実に 平城の都の凋落を重ねてしまっていた。



遅めの昼食を、お目当てだった 「秋篠の森」 の姉妹本店、「くるみの木」 でとる。
2時間待ちも、手作りのぬくもりある雑貨が並ぶ隣接のお店や ほっとするやさしい雰囲気の待合室で紛らわせて、 やっと おいしいシンプルランチにありついた。


晩秋の陽の傾きは 早い。
もうひとつ 会ってみたかった仏像、法華寺の十一面観音立像を、あきらめずに思い切って訪ねた。

尼寺である法華寺は、光明皇后ご創建時の荘厳は失われているに違いないが、女人道場門跡寺院の女性的な風格と穏やかさを、観音像にも 雰囲気にも しっとりと感じ取ることができた。

手元にある昔の朱印帳に、昭和41年4月11日付で 「法華滅罪寺・本尊十一面観世音」 とある。42年前も、秋篠寺から法華寺への 佐紀路を辿っていたのだ。

法華寺の近くにある海龍王寺をも 欲張って参拝し終わった頃には、陽は西に大きく傾いていた。



バスの時刻表を見ると、次の西大寺駅行きは 30分以上待たねばならない。
急ぐ旅でもない。平城宮跡の北側の道 佐紀路をそぞろ歩きながら、西大寺駅へ向かう。

みるみる日は暮れて、広大な平城宮跡のずっと向こうの西の山端に 夕焼けの帯が 幾筋も浮かび上がった。

晩秋の佐紀路のあちこちに、鈴生りの柿の実が 枝を大きく撓らせて、夕焼けを受けて ますます熟れた朱色を際立たせていた。