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内定取り消しは 恥じと知れ

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いまさら 松下幸之助の経営哲学を引き合いに出すつもりはない。時代は移っている。
ただ、松下哲学の根本に流れている 「なによりも人を大切にする」という精神は、 いつの世も 古臭くなってはならない。


大企業は、未曾有の長期好調を持続してきた。「企業は人なり」 と、 “人材” を求めた。ここ数年、学生の青田刈りが まかり通ってきたのである。

それが、今年の秋口からの急速な景気の落ち込みで、 『内定取り消し』をする企業が 続出している。内定はなかったことに と、42万円でけりをつけようとした企業もあるという。
情けない。

せっかくこの会社で働いてみようと 張り切っている内定者ぐらい、ほかの経費を節約工面してでも、 どうして受け入れようとしないのか。


「内定」 は一つの立派な契約行為であって、それを反故にすることは、れっきとした契約違反だ。各社それぞれ、言うに言われぬ お家事情はあろう。それでも、内定取り消しは 契約違反で 会社の恥じだと、まず認識すべきである。

契約違反とかうんぬんする前に、がまんならないのは、これからの日本を担ってもらわなくてはならない 真面目な若者の心を踏みにじったことだ。


わたしは、36歳から60歳まで 小さな企業の経営者として過ごしてきた。儲けの少ない零細企業のまま、次の経営者に引き継がなければならなかったことは、心残りだった。
ただ、会社都合で 社員を切り捨てたことは、一度もない。それだけが、わたしの経営者としての誇りである。

いま、当社のトップは、仕事量の激減に苦心惨憺している。それでも、わずかばかりでも年末賞与を社員に渡せるよう、借金をしてでも工面しようとしている。わたしの遺志を 継いでいてくれるのである。

わたしは、“人材”という言葉が嫌いだ。
理想だけやと言われようが、金や土地や設備なんかと 人を、同じように扱うことだけは したくない。


10年ほど前、わたしの長男や長女が 就職活動で駆けずり回っていたのを、思い出す。就職氷河期などと 言われたときだった。親目かも知れないが、あのときの就職難が 彼らを鍛えてくれた と、いまは思っている。
若者を 甘やかしてはならない。しかし、理不尽な 「大人の身勝手」は、もう やってはいけない。

生まれたとき、人は親や身内に祝福される。
それと同様、社会人になるとき、人は社会から祝福されねばならない。