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この国の指標

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11月11日に放映された 「筑紫哲也さん追悼」番組で、鳥越俊太郎氏がこう言っていた。
筑紫さんは、日本人の心、日本人の考え方の しっかりとした一つの座標軸を示し続けてくれた。

わたしは、司馬遼太郎を 『歴史という縦の座標軸』 と 常々頼りに思ってきた。
それと同時に、 『現代という横の座標軸』 として、筑紫哲也は、わたしにとっても 大丈夫な とても安心な存在であった。
納得のいく存在だった。
筑紫さんに代わる指標は、まだ見つかっていない。

ただ、筑紫さんのように 語りかけてはくれないけど、 この国には この国の指標として 泰山の如く存在するものがある。
あの終戦を境に 無節操に豹変する “大人たちの心変わり” を目の当たりにして、何を信じて生きてゆけばいいのか 10歳そこそこの多感な少年だった筑紫哲也をして 「しびれた」 と言わしめた、日本国憲法である。

いま、一般の日本国民と公務員のあいだは、繕うことのできないくらい 大きく隔たってしまった。
とても悲しいことだ。
なにか いい手立てはないのだろうか。
わたしは強く思うのだが、われわれ一般国民は、この国の根幹である日本国憲法を いま一度 じっくり読み直すべきではないか。
そして 公務員は、憲法第99条をしっかり護るべきではないか。
一般国民が愛し尊敬できる公務員になって欲しい。
この国をたて直すには、それしかない。

憲法第99条には、こう記されている。
「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する 義務を負う。」

決して上手とは言えないが、真面目で、無駄がなく、見ているとなんともいえない魅力を感じる人がいる。
物にも、同じような親しみを感じるものがある。
日本国憲法を読んでいると、そんな気分に わたしはなる。

筑紫さんのように しびれるとまではいかないが、とても素直で 分かり易くて まっとうな文章で、 ちょうど 筑紫さんの 『多事争論』 を聞いているような 安心な気分になるのだ。
誇りに思う。

キザっぽい言い方になるが、あの戦争で亡くなった幾万の先輩たちの魂がこもっている。
そうに違いない。
この国の指標として、こんなにも誇らしい碑を 先人たちが残してくれたのだ。

ジュリーこと 沢田研二が、先月の29日 京セラドームでコンサートを開いた。
ジュリーも わたし同様、戦争を知らない世代だ。
その彼が、6時間ぶっ続けのライブの中で、自作詩の憲法第9条賛歌 『我が窮状』 を歌った。
その歌声に、合唱と万雷の拍手だったという。


公務員を貶して、この国が救われるものではない。
日本国憲法を大いに誇り、それをこの国の確かな指標として、ジュリーの歌声に和した 地底から湧きあがる合唱のように、国民と公務員が家族のように一体となって 進むこと。
この国をたて直すには、それしかない。