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倒木更新

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倉本聰のテレビドラマ 『風のガーデン』、ご覧になっていますか。
12月4日放映の、勘当された息子・中井貴一と その父・緒方拳が 久しぶりに再会する場面、ジーンときました。
後悔と許しとの揉みくちゃの末に生ずる、陽だまりのような穏やかな安らぎ。
中井貴一の演技も さすがですが、これが出演遺作品となった緒方拳の 一挙一動の味のあること、 見ごたえありました。

風のガーデンは、またひとつ わたしの 「倉本聰お気に入り作品」 に入りそうです。



倉本聰といえば、『北の国から』。
わたしの長男と長女のどちらもが <純>と<蛍>と同い年 という “因縁”もあって、欠かさず みていました。
どの登場人物も魅力的で、彼らが語る台詞が みんな胸にこたえて、北海道の美しさが まなこに焼きついて、 さだまさしの歌う主題歌が耳から離れなくて・・・

なかでも 「’87 初恋」 は、尾崎豊の 「 I LOVE YOU 」 のメロディーとともに 脳裏から離れません。
エンドマークの直前のシーンだったと 記憶します。


純が 父・五郎の元を離れて上京するとき、五郎と蛍が 長距離トラックに乗せてもらう純を見送ります。
運転手に なんどもなんども頭を下げる五郎。
ウォークマンで自分の思いに浸っている純に、運転手はこう言う。

「金だ。いらんっていうのに おやじが置いていった。しまっとけ」
「いいから、お前の記念にとっとけ」
「抜いてみな。ピン札に泥がついている。お前のおやじの手についた泥だろう」
「オラは受取れん。お前の宝にしろ。貴重なピン札だ。一生とっとけ」


この運転手の台詞は、あの場面とともに 忘れられません。
そして この運転手は、わたしの大好きだった役者、自ら命を絶った 古尾谷雅人でした。




倉本作品に、『ライスカレー』 という テレビドラマがありました。
「’87 初恋」 のちょっと前に放映された、英語の全くしゃべれない日本人(ケン)の カナダでの体験を描いたものでした。
わたしのなかで、カレーライスとライスカレーの違いを はっきり区別する基準ともなった作品です。

時任三郎、中井貴一、陣内孝則、藤谷美和子、布施博、風吹ジュン、室田日出男、三木のり平・・・
故人となった役者もいれば、主役たちも みんな若かった。

このドラマには、英語がふんだんに使われていました。
当時 英会話の習得に熱を入れていた時期でしたので、それを知っていた娘が、父の日のプレゼントに そのシナリオ本を買ってくれました。
黄や緑やピンクの蛍光ペンで いっぱい 傍線が引いてあります。

丸太小屋でのシーン。
黙々とかがみ込み、ひとり丸太の小さな修正を憑かれたようにやっている B.J(中井貴一)。




コニー  「 Who is that guy ? 」 (あの人だれ?) 
   
マック  「 He's from Japan 」 (日本人さ) 
   
コニー  「 A log builder ?」 (ロッグ・ビルダー?)  
マック  「 ---No,---he's more of an artist 」 (っていうより芸術家だな) 
コニー   「 --- 」
マック   「 A very lonely artist 」 (とっても孤独なね)
   カメラは窓の外へ、物陰に立っている マックとコニー。
コニー   「 What makes you say that ?」 (どうして孤独なの?)
   
マック  「 Cuz he has very little to share with others 」 (人のことを考えられないからさ) 
コニー   「 --- 」
マック   「 You see, What's possible for him is not always possible for others 」
   (自分にできることはすべて他人ができなくちゃならないって信じこんでいる)
コニー   「 --- 」
マック   「 And he's not used to compromising 」 (そういうやつさ)
   カメラは 再びB・Jの孤独な作業を捕らえる。
マック   「 He just won't forgive those that fall below his standards, Thsat's what makes everything so sad 」
    (人ができないと許せないんだ。不幸なやつさ)
コニー   「 --- 」


あのころ、B・Jと自分が ダブっていたのです。

B・Jの小屋で B・Jが、カナダでは新米のケン(時任三郎)と、カレーを食いながら話します。



B・J   「 (食いつつ) 俺もおやじが大きらいだった 」
ケン   「 --- 」
B・J   「 あんなふうにだけはなりたくなかった 」
ケン   「 --- 」
B・J   「 ところがね 」
ケン   「 --- 」
B・J   「 ある日、ドキンとしたな 」
ケン   「 --- 」
B・J   「 自分の中にひどくおやじに似ているところがあることに気づいてさ 」
ケン   「 --- 」
B・J   「 どこの学校でも友だちができずに、---気がつくといつも一人だったよ 」
ケン   「 --- 」
   
B・J   「 カレッジのときはシアトルだったンだ 」
ケン   「 --- 」
B・J   「 そこであるときアメリカ人のクラス・メートに、ズバっといわれたよ 」
ケン   「 --- 」
B・J   「 ユーは正しく日本人だな。ユーを見ているとジャパニーズがよくわかる 」
ケン   「 --- 」
B・J   「 どうしてお前はそんなふうに、自分の基準で他人を見るンだ 」
ケン   「 --- 」
B・J   「 自分がすぐれた能力を持っているから、自分が凄く努力家だからって、
それを他人に押し付けられちゃかなわない 」
ケン   「 --- 」
B・J   「 働きたくないやつ、のんびりしたいやつ、やりたくてもできないやつ、
楽に生きたいやつ、それぞれがそれぞれの生き方をしてるンだ 」
ケン   「 --- 」
B・J   「 すべてにお前を押し付けるなシュン 」
ケン   「 --- 」
B・J   「 ショックだったな 」
ケン   「 --- 」
B・J   「 だって俺は自分じゃそんなこと、夢にも思ってなかったンだから 」
ケン   「 --- 」
   ショーケンの唱。( 「酒と泪と男と女」 に変わっている)
B・J   「 そいついったよ。 You make everything so sad, SHUN 」
ケン   「 --- 」
B・J   「 お前はまわりを悲しくしちまう 」
ケン   「 --- 」
B・J   「 その頃はまだ俺、シュンって呼ばれてたンだ 」
ケン   「 --- 」
   
ケン   「 どうして今はB・Jっていうンだ 」
B・J   「 --- 」
ケン   「 B・Jっていったいどういう意味なンだ 」
B・J   「 BはバンフのB。Jはジャスパの頭文字のJさ 」
ケン   「 --- 」
B・J   「 バンフとジャスパの間の道で、ラリーに拾われたンだ 」
ケン   「 --- 」
B・J   「 カナダを一人で放浪していて、どこに行く当ても別になくって、
ボール紙にバンフ_ジャスパって、書いて---通る車にさし出してたンだ 」
ケン   「 --- 」
B・J   「 そうしたらトラックが前に止まって、男が顔出していったよ。
ヘローB・J。どっちに行きたいンだ。 お前の本当に行きたいのはどっちだ。
BなのかJなのか、はっきりしろって 」
   音楽---静かに忍び込む。B・G。
B・J   「 I don't know って俺はいったンだ。 自分でも本当に I don't know なんだ。
どこでもいいンだ。 どっかに行きたいンだ 」
ケン   「 --- 」
B・J   「 結局そいつの家に行ったよ 」
ケン   「 --- 」
B・J   「 それがラリーだった。 たまたまそうだった。 それで丸太小屋の勉強を始めた 」
ケン   「 --- 」
B・J   「 もともと丸太小屋のために来たわけじゃないンだ 」
ケン   「 --- 」
B・J   「 何でもよかったンだ。 一人になれるなら 」
ケン   「 --- 」
B・J   「 人といるのが恐くなっちまったンだ 」
   
ケン   「 これからもずっと丸太小屋をやるのか 」
   
B・J   「 どうかな 」
ケン   「 --- 」
B・J   「 たぶん--- 」
ケン   「 --- 」
B・J   「 わからないけどな 」
ケン   「 --- 」
B・J   「 ただ--- 」
ケン   「 --- 」
B・J   「 一人でいりゃあ倖せなのか。 人を傷つけなくてすむからいいのか。
そうやってずっとやっていけるのか 」
ケン   「 --- 」
   
B・J   「 君を見ていて羨ましかったよ 」
ケン   「 俺を? 」
B・J   「 ---ああ 」
ケン   「 どうして 」
B・J   「 人に好かれるからさ 」
ケン   「 --- 」
B・J   「 人に愛されるし、人を愛するし、---つまり---、そういう単純なことが、
もしかしたら一生生きていく上で--- 」
ケン   「 --- 」
B・J   「 (フッと笑う) しゃべりすぎだな 」
ケン   「 --- 」



わたしも、ちょっと しゃべりすぎました。

13年前の ある新聞のひとこと欄に、倉本總は 次のように書いています。



よくカナダの太古の森に行くんですが、「倒木更新」 と言いまして、古い木が倒れた上に新しい木が芽生えて、何百年、何千年の森を作っている。
我々のやっていることは 未来へつなげるための 「倒木更新」 ではないかなと思っております。
いま植えた木が、大木になる姿を、僕らが見たいと思ってはいけないのではないか、死んでずっと先のことではないかと思います。



倒木更新。
こうつぶやくと、ちょうど 『風のガーデン』 での緒方拳の、後悔と許しとの揉みくちゃの末に生ずる、陽だまりのような穏やかな安らぎを感じます。

宗教者が 「南無阿弥陀仏」 と唱えるように、そうつぶやいたとき ふわーっと降り注ぐ陽射しのように、「倒木更新」 という響きは、わたしにとって 念仏のようでもあります。

これでいいんだ、もう充分ですよ と、囁いてくれるようなのです。

倒木更新。
倉本總から教わった、わたしの宝の言葉です