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ホームラン人生

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両方の両親を見送り 子供たちを巣立たせ 孫たちにも恵まれた夫婦を、 ホームラン人生というのだと、知人が教えてくれた。
四人集まって、ホームラン人生を送っているのは そのうちの一人いるかいないかだ、とも言っていた。

わたしたち夫婦は、幸せ稀なホームラン人生を送っていることになる。
感謝の気持ちが 足りなさ過ぎるようだ。

ホームランという言葉には、ラッキーという意味が こめられている。
同時に、「あがり」 の意味合いもあるのでは、と わたしは思う。

一塁の塁上で、脚力を誇って 虎視耽々と二塁を盗むチャンスをうかがっていた 20歳代。

二塁の塁上で、ワンヒットでホームまで滑り込めるよう 周囲の状況に全神経を張り巡らせていた
30歳代 40歳代のころ。

三塁の塁上で、ゴールのホームを目前にして 僥倖の外野フライを恃み 一か八かのスクイズに望みを託していた
50歳代。

この一周の間には、子育てを 親の介護を と、人間として当たり前の営みを 同時進行させてきた。
気づいたら、「あがり」 のホームを踏んでいた。
それが実感である。


仏教は、四苦を教えている。
生・老・病・死。

無事ホームを踏めたと思っても、それは 「生」 の出口にさしかかったに過ぎない。
大きく口を開いて、老・病・死が待ち構えている。
老いはそんなに怖いものじゃない、とても自然なことなのよ。
そう、映画 『マルタのやさしい刺繍』 のシュテファニー・グラーザーは 話しかけてくれる。

十分やってこられたんだから いまある幸せを心おきなく楽しまれたらいいじゃないですか と 法然院の梶田真章貫主は おっしゃってくださる。


千葉県鋸南町を NHK「家族に乾杯」 で訪れた笑福亭鶴瓶は、本番中に髭を剃ってもらいながら (演技かもしれないが) 鼾をかいて眠っていた。
眠っているときと 糞をこいているときが 人間いちばん隙があるときだが、それを(一見)平気でやってのける 笑福亭鶴瓶に、人生の達人をみた思いがする。
ホームラン人生をほんとうに楽しむためには 但し書きがつく、と自覚した。

逆とんぶっても笑福亭鶴瓶のようにはなれないが、「あがり」 など わしゃ知らんといわんばかりの 開き直りと、飽くなき好奇心に満ちた貪欲な 「いま」 を生きる力を、携えているもののみに、ホームラン人生は与えられる。

決して僥倖のようなものではないのである。