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落ち葉のかなしみ

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先日 テレビのニュース番組で、山陰地方の過疎地の町の小学校で みごとに黄葉する大イチョウが紹介されました。
この小学校は 来年の春 廃校となり、校庭に佇む大イチョウも 切り倒されてしまうかもしれないのです。

この大イチョウに幼いころから親しんできた 小学校卒業生や地元の人たちは、 その存続運動に立ち上がります。
大イチョウの落ち葉を舞い上げて戯れる子どもたち、落ち葉の布団のなかに首まですっぽり埋まって
「あぁいいにおい」 と叫んでいる女の子。
画像を通して、こちらにまで香ばしいイチョウの葉っぱの匂いが 伝わってきそうでした。

この大イチョウは、切り倒されずに済むそう とのことでした。
でも 来年の落ち葉は、子供たちの歓声を聞くことができるのでしょうか。


数日前の新聞に、大阪御堂筋のイチョウ並木を 低空から見たカラー写真が、載っていました。
ため息が出るほど きれいでした。
いまはもう、落ち葉で歩道が埋め尽くされていることでしょう。

落ち葉は、誰が掃き集めるのかなぁ。
どうでもいいことが 気になります。
たぶん 御堂筋のイチョウの落ち葉は、土に還ることはできないでしょう。


わたしたちの会社の前の街路樹イチョウの落ち葉も、アスファルトの上で 靴に踏まれ 車輪に敷かれています。
アスファルトの恩恵を 重々承知の上で、アスファルトが憎らしく思えます。

映画 「画家と庭師とカンパーニュ」 のなかで、死をまじかにして 立っていることもつらい状態の庭師が、線路沿いの菜園で 手塩にかけた野菜に囲まれて 土の上に寝そべっている場面で、そこへ訪ねてきた幼馴染の画家と交わす
会話が、わたしには とても印象的でした。


画家 「おい、どこだ」
庭師 「ここだよ。豆の後ろ」
(寝そべっている庭師の頭のほうにおいてあるラジオから 音楽が流れてくる)
画家 「寝ながら作業を?」
庭師 「横になると腹が引きつらん」
画家 「モーツァルトか」
庭師 「モーツァルト? 知らなかった。目を覚ますためだ。横になると寝ちまうから。
時々向きを変えて空を見る。(空を見上げて)俺はあそこへは行かない。
迷子になる。地下のほうがいい。根があれば道しるべになる。」



わたしも、空へ行くよりは 土になりたいと思います。
お百姓さんのまねごともしたことがないくせに、土をいじくっていると 楽しいのです。
そんなわたしですら 土が恋しいのに、落ち葉はきっと土に還りたいに違いない、と思うのです。

目抜き通りで愛でられたイチョウも 校庭にひっそりと佇むイチョウも ひとしく、あとひと月もすれば 木枯らしに虎落笛でこたえることでしょう。