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日本の若者よ 立ち上がれ!

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いま 日本の若者は、もっと怒るべきだ。
そして この日本の未来を自分たちでつくりかえようと、立ち上がるべきだ。


「トヨタ、純利益1兆円」 というニュースに 度肝を抜かされたのは、つい半年ほど前だった。
一日本人として、誇らしい気持ちになったのは事実だが、かって ソニーが 「世界のソニー」 とうたわれたときに感じた誇らしさとは異種の、不安と冷ややかさを感じてもいた。

そのトヨタが、大企業のトップを切って 人員削減を報じた。
ええぇ、あのトヨタが・・・
この衝撃は、規模の大小を問わず 日本のあらゆる業種の経営者に、心理的なマイナスを与えた。
日本の経済は、急速に悪化した。
“天下のトヨタ” の責任は、重い。

今だから言えることなのかも知れないが、『9.11』 以後のアメリカの なりふり構わぬわがままぶりが いずれ大きな躓きをもたらすことは、あの 「トヨタ」 なら予想できたはずだ。
それを あえてアメリカへの輸出依存を強めたことが、今のトヨタの慌てふためきを招いた、と ズブの素人でも理解できる。

乱暴に言って、1年前、トヨタの社員の給料は 零細企業の社員の数倍、ボーナスは5倍、役員の給料は わからない。
わからないが、GMの役員に比べられるくらいの額であったのだろう。
はっきりいって、儲け過ぎであった。
それだけの儲けがあったなら、せめて 解雇した期間労働者の当分の寝どこくらい確保してあげても、罰は当るまい。
非正規社員とはいえ、トヨタの未曾有の儲けに貢献してきた社員ではないか。

来年度の役員賞与はゼロにする と最近トヨタは言い出した、と報じられた。
本末転倒である。
役員賞与どころか、まず、役員の賃金カットで苦境乗り切りをスタートするのが、われわれ零細企業のトップの常識である。
日本航空の西松遙社長の率先質素を、見習うがよい。

期間労働者ばかりではない。
トヨタのすそ野は、広大である。
つい1年ほど前には、増産体制を敷いて 下請け企業に設備投資を奨励してきたという。
いま、その下請け企業は 受注半減、孫受け そのまた下請けの苦境は、容易に想像できる。
もちろん 下請け企業にも、家庭では大黒柱の社員がいっぱいいる。
トヨタの正社員の比ではなかろう。
トヨタだけではない。
バブル崩壊後の大企業の、能力主義の名に隠れてとった冷たい仕打ちを、30代の若者なら 身にしみて覚えているだろう。

そして いま、「企業人格」 を問われる 大企業のふがいなさ。
松下幸之助も 本田宗一郎も 井深大も、草葉の陰で嘆いていることであろう。

トヨタをやり玉にあげる気はない。
グローバル化、世界標準、経済至上主義などといった名に隠れて、 真の意味での個人が蔑ろにされている現実を 問うているのだ。
人を “材” と見る風潮に、NOと言いたいのだ。

人材派遣業という業種、知識に乏しいわたしには 理解に苦しむ。
ハローワークが 「職業安定所」 と呼ばれていたころ、職を斡旋して利益を得たら お縄ちょうだいであったはずだ。
それが いつのまにか 堂々たる一業種として、社会に受け入れられている。
それならば、なぜ そこに登録した “人材” を社員扱いしないのか。
派遣労働者は、雇用保険などの労働保険には かろうじて加入するが、厚生年金や健康保険などの 社会保険には入れてもらえない と聞く。

まず、そういう状態で人材派遣業という業種を公認した役所(政治?)に問いたい。
企業が正社員の人数を できるだけ抑えようとする理由の第一は、労働保険の全額負担、社会保険の半額負担が厳しいからだ。
正常な会社であれば、税金と同じく 税金よりいまや負担の重いこれら保険負担金を なんとかやりくりして納付しているのだ。
その負担のない人材派遣業とは、いったい何ものなのか。
セイフティーネットのほころびは、社会制度の不備にも現れている。

若者にも言いたい。
期間労働者のほうが 身軽で居心地が良いなどと 甘ったれた考えがあったとすれば、それがいかに儚いものか このたびで思い知らされたであろう。
景気のいい 売り手市場のときに、正社員でなければ働きません、と強く言うべきであった。

若者たちよ、これからの日本を、平和を愛し 人を大切にする国に つくり直そうではないか。
その指針として、わたしは 次の一言を掲げたい。




「一人、そしてまた一人」


これは、マザー・テレサが生前 人々に語り続けてきた言葉の一節である。
そして、先日放映されたNHK番組 「その時歴史が動いた」 『マザー・テレサ 平和に捧げた生涯』 の副題でもあった。
マザー・テレサがノーベル平和賞の授賞式の壇上で まず語りかけた言葉は、「ともに祈りましょう」 と、そして続けて、戦乱止まぬ時代に幼かった彼女の生き方を変えた 聖フランシスコの平和の祈りであった。



主よ

あなたの平和を

もたらす道具として

私ををお使い下さい

憎しみのあるところには

愛を

不当な扱いのあるところには

ゆるしを

分裂のあるところには

一致を



1979年にマザー・テレサに与えられたノーベル平和賞が どうして「その時歴史が動いた」のかを、 番組の中で 早稲田大学名誉教授の西川潤氏は、こう説明している。


平和を希求してやまないマザー・テレサが ノーベル平和賞を受賞するまでは、平和というものは 国家や政府の仕事だと考えられてきました。
授賞式の壇上で 最も質素な木綿のサリーをまとい サンダルを履いたマザー・テレサが、全世界に発したメッセージは、 平和というのは、ひとりひとりの取り組みの問題、生き方の問題であり、“貧しい人” という固定したイメージではなく、 わたしたち自身の “貧しさ” が 貧困や紛争を起こし出している という、豊かさ、貧しさを考える上での 「認識の転換」 でした



西川潤氏は、かって訪ねた 「死を待つ家」 での体験を踏まえて、こう語り続ける。


死を待つ家で 私は死を待つ人々の手を握りました。
そして その手を離し、もう行かなくてはなりません と言うと、彼らは 「Good! bless you 神のご加護あれ」 と 祝福してくれました。
愛を貧しい人たちに投げかけていると思っていたのが、実は 彼らが私に愛をくれたのです。
こういう認識・自覚から、もう一つの豊かさ、お金に測れない豊かさ、愛や平和につながる豊かさ、そういう新しい豊かさが見えてくるのです。
マザー・テレサは、ノーベル平和賞を 一つのメッセージ手段として、そういう新しい豊かさを われわれに教えてくれました.。
今の社会から もうひとつあとの社会を展望するものを、指し示してくれたのです。



この番組の中で、マザー・テレサの活動について、ひとりの社会活動家が疑問を呈する発言に対するマザーの応答が、深くわたしの心に残っている。


社会活動家
「あなたのしていることは 確かにすばらしいけれども、もっと大掛かりで現実的なやり方があるのでは?」

マザー・テレサ
「私は 大仕掛けのやり方は反対です。大切なのは一人ひとりの個人。愛を伝えるには、一人の人間として相手に接しなければなりません。
多くの数が揃うのを待っていては 数の中に道を失い、一人のための愛と尊厳を伝えることはできないでしょう。
『一人ひとりの触れ合い』 こそが、何よりも大切なのです。」



わたしたちが 立ち上がるとき、思いあがってはならないことがある。
それを、マザー・テレサが友人に宛てた手紙に 読み取ることができよう。



「神の偉大さに比べて 私はなんてちっぽけなのか---
ほとんど無に等しいかもしれない。
あまりに無力で 空っぽで、そして あまりに小さい私」



マザーですら こうなのだから、ましてや われわれをや、である。
マザー・テレサが 生前、人々に語り続けたのは、次の言葉であった。


「私は 決して助けた人を数えたりはしません。 ただ一人 ひとり そしてまた一人」


来年の1月17日で、14年前になる阪神淡路大震災。
あのとき、日本中から心ある若者が 被災地に集まった。
被災地に行くことはできなくても、何かしてあげられることはないかと、心を砕いた若者が 大勢いたはずである。
自分の何かを犠牲にしてでも 誰かを救ってあげたい、その心の環が広がったとき この世の中に真の平和が訪れる、と マザーは教えてくれた。
あの大震災は たいへんな不幸であったが、もう一つの新しい豊かさを 身をもって知ることのできた 貴重な体験であった。

わたしたちは、やろうと思えば できるのだ。
新しい真の豊かさを求めて、立ち上がろうではないか。