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もう一度 やさしさについて

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「もう一度 やさしさについて」 というタイトルで、自分のなかで なにかしら大切なことを伝えようと思いながら、2ヶ月が経ちました。
書きかけて、どうも嘘っぽかったり そこまで考えてないんとちがう思ってみたり 現実と違うこと書くなやと自問したり・・・

正月休みに 重松清の
「きよしこ」 という小説を読みました。
最後のところに
『それがほんとうに伝えたいことだったら・・・伝わるよ、きっと』 とありました。

まだ よく判っていないんです。
でも 「
きよしこ」 に後押しされて、まあ中途半端でもいいか というあたりで、進めてみます。


好意を寄せる異性から薫る香料の 慎ましやかな匂いが、その人を 思わず抱きしめたくさせるのと同じように、 嵌った連続ドラマの主題歌は、そのドラマを 舞い上がる思いに導きます。

昨年暮れに終わった連続ドラマ
「風のガーデン」 に流れていたテーマソング、平原綾香が歌う 「ノクターン」
英語ばかりで よくわからないのに、旋律だけで なにもかも100パーセント納得いった気持ちになってしまいます。

人間にとっての 「やさしさ」 は、さりげない香りや 英語詩
「ノクターン」 のような、掴めないけれど離すと寂しくなるような 付随的要素なのかな、と思っていたときもありました。

いまは、 “やさしさは人間そのもの” と思っています。



地下で買い物するから30分ほど喫茶店で待っててくれる?
そう言い残して 家内が大丸の地下へ下りて行ったあと、さてと 大垣書店まで行くには時間が短いと、 大丸の2階の奥にある喫茶「ドルフ」で 鞄に入れてきた本を読むことにしました。
去年の暮の土曜日の、遅めの午前のことです。
重松清の
「とんび」 という単行本です。

家内がテーブルの向かいの席に座ったのは もちろん知っていましたが、佳境にさしかかった
「とんび」 を読み続けました。
『由美さん』 という章のなかほどで、メガネの下から涙が零れ落ちるのを 照れ隠しするのに、骨が折れました。

カフェラテを啜りながら、家内が初めて話しかけます。
恥ずかしいから こんなとこで泣かんといてよ。
家内の言うことはもっともだと思いながら、もうちょっとだけ と、こちらも初めて口をきいて 読み続けます。



『一つだけ言うとく。健介のことも、生まれてくる赤ん坊のことも、幸せにしてやるやら思わんでええど。親はそげん偉うない。ちいとばかり早う生まれて、ちいとばかり背負うものが多い、それだけの違いじゃ。 子育てで間違えたことは なんぼでもある。悔やんどること言いだしたらきりがない。ほいでも、アキラはようまっすぐ育ってくれた。
おまえが、自分の力で、まっすぐ育ったんじゃ。』

『親が子どもにしてやらんといけんことは、たった一つしかありゃあせんのよ。』

『子どもに寂しい思いをさせるな』



海になれ と、著者の重松清は、主人公ヤスさんの台詞を通して、“遠い昔、海雲和尚に教わった” 言葉として 語りかけます。


『子どもの悲しみを呑み込み、子どもの寂しさを呑み込む海になれ』


ヤスさんは、運送会社で仕分けと配達を仕事にしている、どこにでもいそうな がさつな、でも 誰からも好かれる 心のやさしい 『トンビ』 です。
そのトンビと、いとしいてならない美佐子さんとの間に、アキラという 『タカ』 が生まれました。

ある日、幼いアキラをかばって、美佐子さんは配送荷物の下敷きになって 亡くなります。
ヤスさんは、まわりの仲間に助けてもらいながら アキラを可愛がって可愛がって、アキラは人の気持ちのわかる 素直な子に育ちます。

少年になったアキラは、母の美佐子さんがどうして亡くなったのかが知りたくて 父に尋ねますが、ヤスさんは、自分の不注意で 美佐子さんを見殺しにしたと、嘘をつきます。
この嘘は、いつしかバレてしまうのですが・・・

東京の大学を選んだアキラは、ふるさとを離れて上京し、残されたヤスさんは、さみしさと戦いながら アキラに関わる
わずかな情報を楽しみに 過ごしていました。
大学を卒業したアキラは 在学中にアルバイトしていたグラビア雑誌の会社に就職するのですが、その入社試験の 筆記自由課題に 自分をかばって亡くなった母のこと そのことをひた隠しにしてきた父のこと そして親身になって助けてくれたまわりの人たちのことを書きました。

ヤスさんの父が危篤という手紙が、腹違いの弟から届きます。
迷いに迷った末、ヤスさんは 幼かった自分と母を捨てていった父の最期をみおくりに、東京へ。
その折、アキラがお世話になっている会社を訪ねたヤスさんは、アキラの上司から 入社試験の筆記自由課題の答案を見せてもらい、・・・。

もう、ここは グタグタ書くのを止します。

アキラは、久しぶりにふるさとへ帰って来ました。
同じ会社の先輩、バツイチの それも健介という男の子のある年上の女性 由美さんと結婚することを、報告しに・・・
『由美さん』 という章は、このあたりからの話です。


わたしは、世間で言う偉い人には 興味ありません。
でも、ヤスさんのような人に、会いたくて会いたくて 仕方ありません。
ほんとうのやさしさは、こんなにも厳しくてつらくて 絞って絞ってしぼりきった末の 強い強いものなのです。




これも 重松清作品なのですが、「みぞれ」 という小説に 『ひとしずく』 という短編が納められています。
わたしは、この喜劇的タッチの 心底悲劇な どこにでもある情景を一枚切り取ったような短編が、とても好きです。
子どものいない 42歳の同い年夫婦の、バースディ・ヴィンテージワインを絡めた 43回目の妻の誕生日祝いの ショートストーリーです。



特別な一日を祝うために、夫(和夫)は 目が飛び出るような値のワインを、 妻(紀美子)は 高価なパステルグリーンのリネンのワイシャツを、それぞれ買って帰ります。
二人だけの ちょっと照れくさくて穏やかで幸せな誕生日パーティー、のはずでした。

そこへ ひょっこり、義弟と二人の甥っ子が 舞い込んできます。
この義弟、三つ年下の妹のダンナで 自分より二つ年上、とことん図々しい。
和夫は、義弟が 自分をクン呼ばわりすることに我慢ならない。
そのくせ 和夫は、妻とそりの合わない母を引き取ってくれているこの義弟を、さん呼びしてしまう。

母と妻がうまくいかなくなったのは、子どもをあきらめた頃から。
そして 二人の甥っ子は、絵に描いたようなヤンチャ坊主。
せっかくの誕生日祝いは、茶々くちゃ。
ガキどもの兄弟げんかのとばっちりで、妻のくれた大事なワイシャツに、べっとりとタコ焼きソースの染み。
最後には この義弟、バースディ・ヴィンテージワインをひとりで飲み干す寸前まで。
それを阻止しようと、和夫と義弟のデカンタの奪い合いの結末は、ワイン満開のままテーブルと床を散らすことに・・・和夫は、ついに 堪忍袋の緒を切らします。

義弟たちが怒って帰って行ったあとの 二人だけのリビングで、妻の紀美子は 空のボトルを逆さまにして、グラスの上にかざしました。
底に残っていたワインがひとしずくだけ、ぽとん、とグラスに。
バースディ・ヴィンテージワインを、そっと舌に載せ、目を閉じて、ゆっくり時間をかけて味わってから、
「美味しい」
紀美子の目から、透き通ったひとしずくが、揺れながら頬に伝い落ちました。



わたしは、この妻を抱きしめたくなります。
こんなにやさしい 「美味しい」 は、他にはないでしょう。
ほんとうのやさしさは、こんなにも我慢強く こんなにも愛情溢れるものなのです。




正月2日に放映された NHK番組 「タビうた」 で、平原綾香は、父のサックス奏者 平原まことのふるさと長崎を訪れ、父が通った幼稚園を尋ねました。
園長先生は、もう100歳をこえるお年の、でも びっくりするほどしっかりなさった おばあちゃん先生。

このおばあちゃん先生の語られたお話が、平原綾香の心を打ち、それをみていたわたしの胸に響きました。



「子供たちには、偉くなってくれなくてもいいんです。

人の涙の意味がわかる人間になって欲しい。

あなたのお父さんのころから ずーっと願ってきたことです。」



平原綾香が歌う 「ノクターン」 には、あの園長先生の願いがちゃんと生きている、付随的要素なんかじゃない、人間そのもののやさしさなんだ、ノクターンを聴きながら いま、そう思い直しています。