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立木観音

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毎年 節分までに、大津南郷の立木観音にお参りしています。
ことしは、年始早々体調を崩したり 仕事の都合もあったりで、昨日やっと 家内と参詣してきました。

瀬田川の渓谷から吹き上がる 早い午前の風は冷たく、それでも 右側を下山する参詣者が あとからあとから 「おのぼりやす」 と声をかけてくれます。

つい このあいだ登ったという感覚の石段を、手摺に縋りながら 一段一段。
去年と同じ台詞 「急に脚が弱ってきたなぁ」 と、おんなじように手摺に縋りながら すぐあとから登ってくる家内に話しかけている自分を、自分でおかしさ半分、なさけなさ半分。

立木観音は、だれもが知る 厄除け観音さまです。

諸国行脚修行中の弘法大師は、42歳のとき この地を訪れました。瀬田川のほとりにさしかかると、この山に 光を放つ霊木が見えます。奇異に思っていると 白い雄鹿が現れ、大師を背に乗せて 瀬田川を飛び渡りました。
立木山麓の渓谷を 「ししとび」 と呼ぶのは、それに由来しています。
大師を乗せた雄鹿は、霊木のみ前に大師を導き 観世音に変げして失せた、と伝えられています。


「わが42歳の大厄をお救い給いし、ありがたき奇瑞かな。
おもえば人の世には、なにびとも まぬがれがたき厄難あり。
中でも男42歳、女33歳は 危難の年なり。
どうか 自分の災厄のみならず、未来永劫の人々の厄難厄病を救いたまえ。」



そう心願を込めて、根のある立木のままの霊木に 大師の背丈にあわせて 聖観音の尊像を刻まれた、というのです。

なんども参詣してきましたが、本堂で手を合せ ロウソクや線香を上げ 家族全員分のご祈祷祈願はしても、観音像のお姿を拝んだことはありません。
そういうと、そのことは いままで 気になりませんでした。
長く急な石段を登りきることで、お参りできました ありがとうございました、
それで十分な気分になるからです。

弘法大師と等身大の、生木に彫られた聖観音像。
それが実在するか、そんなことを考えたこともありませんでした。
立木観音は、信仰心の薄いわたしにとっても、信仰の地なのです。





こころドロドロ人間、立木山石段を登る

重い脚、ふらつく頭、険しい目

ゆき交う詣でびとの、あったかい声、すがすがしい顔

一段一段、この脚この頭この目が、バカくさい

ゆるしたまえ、ゆるしたまえ

一段一段、悔恨の泥が落ちていくみたい、だが

それは、甘い

ただただ、登りきったら、静かなこころになりたいです

それだけで、十分です

ことしも、ふたりで、詣でることができました

それだけで、十分です