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Dr.コトーがいた!

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これまで 端くれでも技術屋を自認してきた自分が こんなことを言うと、いままでの矜持は いったい何だったや ということになるのですが、技術の進歩、もっと広く 科学の進歩は、もうこの辺で十分なのではないか、最近とみに そう思うようになりました。

医学の分野でも 同じことが言えるのではないか、少なくとも老人医療では、そんな気がします。


以前、テレビの或るドキュメンタリー番組をみて おぼろげに覚えているのですが、寒村の地域医療に携わるお医者さんが こう言っていました(言い方は違ったかもしれません)。

「地域のほとんどのお年寄りは、地元の生まれ育った家で死にたいと思っています。
ただ、いざというとき 近くに親しい医者がいて欲しい。
それは 患者さんもだが、患者さんのご家族が安心して世話ができる状態でいたいからです。
彼らは、そんなに高度な医療を望んでなんかいません。
親身になってくれる医者が そばにいて欲しいだけなんです。
少なくとも 地域医療では、いまの医学技術で十分です。」



先日、NHKの人気テレビ番組 「プロフェッショナル 仕事の流儀」 をみました。
茂木健一郎がパーソナリティーを務める、ほんもののプロ人間のドキュメンタリーです。

その番組は、地域医療一筋の熱血医師、中村伸一さん、45歳のはなしでした。
いまの日本に こんな熱血漢がいるのかと、みていて 心底ジンときました。
まさに、現代の赤ひげ、現実のDr.コトーです。

「その車が通ると、町の人たちは そっと手を合わせる」
これは、そのドキュメンタリーの出だしのナレーションですが、最初はなにごとかと思いました。
新興宗教の教祖を乗せた車なのか、ふっと そんな勘違いも湧くほどでした。

福井県おおい町名田庄地区、人口3000人の寒村、その3割が 65歳以上の高齢者です。
車は 往診車で、乗っているのは 名田庄診療所の所長、中村伸一医師。
地区のお年寄りの顔が次々と映し出されて、にこやかに話す 彼らの言葉が続きます。

「先生 ありがたいな」

「先生好き 私ね 先生大好き」

「いつも拝んどるんや いつもね」


この番組のサブタイトルは、
『 “いい人生やった” その一言のために・・・ 』 です。
中村医師の、この寒村に自分の一生をささげる 支えとなるタイトルなのでしょう。

この番組をみていて、わたしは、「医療の原点」 みたいなものが 判ってきた気がします。
そして、“ほんもののお医者さん” の凄さ、大変さ、神聖さが、よく理解できました。
命を背負うことの責任感、患者の心と真剣に向かい合うことのむずかしさと大切さ。
中村医師の言葉として 流れるテロップ、

「 “神の手” だけが、名医じゃない 」

「病でなく、人を診る」

「その人らしい人生を支える」

これらは、命を背負う重圧と日々向き合う 真摯な医者でしか発し得ない、尊い言葉です。

気持ちを明るくすることから 治療は始まる、と考えている中村医師は、冗談を飛ばしては 患者を笑わせます。
中村医師の診療室は、いつも なごやか。

腰の持病を持った患者さんには、
「顔も頭も性格もいいから、腰ぐらい悪くてもしょうがないナ」

脚を患って通院してくるおばあさんとの会話のひとこま、
「顔も性格もいいんだから、足も良くして」
「先生、それ言うてくれるとうれしい」


そして、中村医師のカルテには、病状だけでなく、生活状況や性格、趣味までも書き込んであります。

中村先生は、患者たちと 人と人として繋がっているのです。
そこに、医療の原点をみました。

「その車が通ると、町の人たちは そっと手を合わせる」
それは、ほんものの医療が根付いた地域の、ごく自然な情景だったのです。

Dr.コトーが、ほんとうにいた、そう 昂奮しながら思いました。