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人件費は付加価値

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毎日のように、大会社の社員削減リストラ計画が 発表されている。
職を失った人々の悲惨な光景が、連日 報道されている。

何とかしてあげたい、その気持ちは湧き上がってくるのだが、自分のことで精一杯。
彼らを見るに見かねて立ち上がるボランティアの人たちの活動をニュースでみて、ほんとうに頭が下がる。

もっとも弱い立場にある日系ブラジル人を、 日本人が嫌がる製造業の夜間作業を担ってきた彼らを、いまの日本は、ボランティアでしか救うことができないのか。
なさけないことになったものである。

企業経営に携わるものとして、現状は 非常に苦しい。苦しいが、まだ恵まれたほうである。
そう、自分に言い聞かせている。


そんな毎日のなか、ある新聞記事が、ひと筋の光明のように思えた。
その記事の要旨は、次のようなことであった。

企業の社会的責任を正しく評価するために、株主から見た評価としては有効な 自己資本利益率や総資本利益率ではなく、賃金を含めた付加価値に着目して 総資本付加価値率を重視すべきだ、との意見であった。

平たく言えば、非正規雇用者の扱いに見られるように、本来「固定費」であるべき人件費を、委託費や外注費といった切り詰める対象の物件費(変動費)として扱われることに対する、憤りなのである。

いま、わたしがひと筋の光明と言ったのは、この要旨そのものではなく、「賃金を含めた付加価値」 という考え方である。


いままで わたしは、決算書に表現される通り、人件費を 「製造原価」 として考えてきた。
この考えは間違いではないのだが、製造原価すなわちコストとみなしている限り、売上からコストを差し引いたものが「付加価値」 との認識は、人件費が付加価値の一部であるとは 考えにくくしている。

経営者にとって 「付加価値」 という言葉は、一種の魔術であって、信奉すべきものとの思いが強い。
「付加価値を高めよう」 との掛け声は、経営者なら耳にタコのごときであろう。

「付加価値」 を高めるのが経営者の務めであり、その大きなウェイトを占める人件費を削減せねばならない、
そう考えてしまうのだ。

経営が順調なときには そんなことは考えないのだが、切羽詰ってくると、なさけないことだが、人件費が “悪の枢軸” のように思えてくる。

「利潤や利子、地代・家賃と同様、人件費も付加価値の一部である」
こんなことは、マルクス経済学を引き合いに出すまでもなく 自明のことなのだが、わたしの頭のなかでは そうではなかったのだ。

「賃金を含めた付加価値」 という考えは、実質 現状をなんら変えることではないにもかかわらず、一経営者である
わたしにとって、気持ちの上で 大きな安らぎである。
人件費の削減が、(気持ちの上で) 至上命令でなくなるからである。

利潤を追求する営利企業である以上は、利潤を圧迫する人件費を低く抑えようとするのは、当然のことである。
それでも、「賃金を含めた付加価値」 で企業を評価してもらえるのなら、社員にむかって どうどうと 「ガンバロウ」 と言えるではないか。