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おじいさんのランプ

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友人の古美術 「やかた」 店主のブログ 「日々」 に、新美南吉の 「おじいさんのランプ」が紹介されていました。




昨日、京都新聞に
(新美南吉作)おじいさんのランプ、8回に分け、連載と、

僕の大好きな本の一つです
ネットの青空文庫にも、掲載してあります、

物語は、昔、常滑の田舎に暮らす子供が、
荷車を押して山向こうの町へ、

初めてランプを見て、明るさに、感動し、
ランプ屋さんに、、、

時が過ぎ、自分の村に電柱が立ち
電気がくる時代に、、、

ランプ屋さんを、辞めてしまう、彼

その辞め方、と言うか、生き方、と言うか、
ロマンチックで、メルヘンで、人らしく、、本当に素晴らしい

まさに、何をしたのか、出来たのか、ではなく
どう生きたのか、、、の、、、最高傑作です。

なかなか出来ませんが、僕も近つきたいし、理想です。

いまも、、、似たような、、時代かなー





さっそく、青空文庫 で 「おじいさんのランプ」 を読みました。
やかた店主が、“最高傑作” と言うはずです。
児童文学でありながら、“大人のための人生哲学物語” でもあるのです。


電気が村に引かれ 時代遅れと覚ったランプ屋、巳之助は、夜更けに 店にありったけのランプに 石油をつぎ、半田池まで持ち出しました。
ランプにつぎつぎつぎと火を点し、それを池の端の木々に吊るして、あたりは昼のように明るくなりました。

「わしの、しょうばいのやめ方はこれだ」
池の向こう側にまわった彼は、向こう岸の木々に鈴なりに灯ったランプが 水面にも逆さまになって灯っているのを、長い間じっと眺めます。

少年のころに花のように輝いてみえたランプ、なつかしいランプ、ながの年月なじんできたランプ。

やがて 巳之助は石ころを拾い、ダイジなダイジな商売道具のランプめがけて投げつけます。

「お前たちの時世はすぎた。世の中は進んだ」

ランプはひとつ割れ、またひとつ割れ・・・

「世の中は進んだ。電気の時世になった」

巳之助の目には、涙が浮かんでいました。

こうして 巳之助は今までの商売をやめ、町に出て 新しい商売を始めます。
ランプを売るうたい文句「ランプの下なら畳の上に新聞をおいて読むことが出来るのイ」が 嘘でないことを ほんとうに証明するために いっしょうけんめい勉強した読み書きの能力を生かして、彼は本屋になったのです。


新美南吉の作品に、「ごん狐」 という名作があります。
小学校の教科書に載っていたのか 定かでありませんが、「ごん狐」の話は よく覚えていました。
新美南吉という作者の名前は、長男の絵本で 「ごん狐」 に再会したとき 知りました。

新美南吉は、よく宮沢賢治と比較されます。
地方で教師を務め若くして亡くなった 同時代人の童話作家という共通点で 比べられるのでしょうが、
わたしには まったく異質な童話作家です。

正直いって、わたしには宮沢賢治の作品の良さが よくわかりません。
でも 新美南吉の語ることばは、ひとつひとつ わたしの腹に染み込んでいきます。
金子みすずにも似た、親近感を覚えます。


「おじいさんのランプ」の ランプを石ころで割っていく場面、だいすきです。
まだ読んでいなかった 「おじいさんのランプ」 を紹介してくれた友に、感謝です。