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黒への回帰

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鋭い、ちょっと怖い女の子がいた。知人の姪で、10歳くらいの色黒の子だった。
対面する人の背後にオーラ色を見ることができる、というのだ。

私のオーラ色は黒で、死の気配を感じるなどと、気色の悪いことを言う。
その頃の私は欝の極みで、毎晩ハルシオンという薄紫色の睡眠薬がないと眠れない日々を送っていた。
過呼吸発作の再発を極度に恐れていた時期だった。
死に体同然だったのだから、彼女の霊感はあながち満更でもなかったのだろう。
死の気配とは、言い換えれば “気” が極度に弱っているということだ。そのことをつい最近 実感した。

ひと月前、敬愛する義母が亡くなった。
孫や曾孫全員に囲まれて、米寿の祝いを受けたばかりだった。
いただくお悔やみの最後には、必ず亡くなり方をうらやむ言葉が添えられた。
義母は好奇心旺盛な人だった。いつもニコニコしていて、近くにいるだけで “陽” になれる気をもらえた。
幽霊同然のあのときの私にとって、どんなに有り難い存在であったことか。

死に顔はとても穏やかできれいだった。でも、あの “気” はまったく感じられない。
そのとき初めて、私は目から涙が溢れ出た。ああ、おばあちゃんは死んでしまったんだ と知覚した。
死とは、気がなくなることなのだ。


私は黒を好む。
『黒い稲妻』のトニーザイラーや 黒いセーターの似合う高倉健や カラヤンに憧れたことも確かだが、その根底はもっと深刻でトラウマ的理由からである。
戦後まもなく三歳年上の兄が赤痢で亡くなった。私は兄の記憶はない。
母は私を兄の二の舞にしないよう、病から過保護した。
その反作用的に教育は厳しかった。甘える先は祖母だった。

一度だけ祖母が私を叱ったことがある。
お盆の頃になると、猫の額のような中庭にオハグロトンボがよく現れた。
縁先の障子の内側に迷い込んだオハグロトンボの羽をちぎっていた私を見つけた祖母の「おしょらいさんになにをするんや」 という叱責は、重かった。
オハグロトンボは 別名お招来トンボといい、一年に一度この世に還ってくる故人なのだと、いつもの柔和な顔に戻った祖母は語った。

中学二年のとき、祖母は死んだ。
学校から帰ったら、中庭に面した部屋に白い布を被った祖母が横たわっていた。
その向こうに お招来トンボが飛んでいるのを、私ははっきりと見た。
あれは おばあちゃんだと、私は確信した。
私にとって、黒は犯しがたい何かになった。

社会人になるまで、私は黒いセーターを好んで着ていた。
大事な取引先の社長に、商売人は陰気くさい服を着るもんやない、と忠告をいただいた。
それ以来、黒を封印した。カッターシャツは当然白だが、セーターも白色が主流になった。
原色を好まない私は、白色は嫌いではない。でも何か嘘っぽい気持ちが払えなかった。

私は義母から多くのことを学んだ。
その大きなひとつが、自分らしく生きる ことだ。
義母はことさらそれを説いたわけではない。“行動”の人であった義母は、そのことを日常生活で示してくれた。
義母は自分の好みを封印することはしなかった。

私も、もう黒を封印しない。