YAMADA IRONWORK'S 本文へジャンプ
こんな拙文に応援くださる方々に感謝

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能登半島を襲った地震のテレビニュースを、せんべいをかじりながら寝そべって見ていた私は、背中に指しを突っ込まれた気持ちになりました。

インタビューを受けてゆっくりと答える被災者のお年よりの顔には、当然ながら疲労の色が濃く映っていますが、不平ったらしいことは口から出ない。
それどころか、命が助かったことに感謝しているのです。
蓮如上人の威光なのでしょうか、能登のお年寄りの顔の皺に神々しさを見ました。
こちらが何かしてあげなければいけないはずの被災されたお年寄りから逆に、ほのぼのと漂う 力のようなものをいただいたのです。

これと対照的に思い浮かべるのは、一昨年の夏 ニューオリンズを襲ったハリケーン・カトリーナの被害に遭った 被災者の叫びです。
断片的に流される映像だけで判断するのは間違いかとは思いますが、救助の不備を嘆き悲しむ姿に なにか訳のわからないものに対する救いようのない怒りを覚えました。

この違いはなんでしょうか。
諦めのよさなどと軽々しく言えない。
今までの私に最も欠けていたもの、ちょっとこそばゆい物言いですが、感謝のこころなのだと思います。
能登の被災されたお年寄りの映像を見て、日本というこの国が無性に好きになりました。

この 「まち工場おやじの持論・自説」 欄を始めたのは、社長の職を長男に継いで 少し気持ちの上でゆとりが持てた時期に、テレビで心を揺り動かされるドキュメント映像を観て、その気持ちを 何かの形で残したいという、ささやかな自己満足からでした。
そんな身勝手な投稿欄を親身になって読んでいてくださる方がおられることを、つい最近になって知りました。

この欄の開始のきっかけとなるドキュメント番組の放映を教えていただいた家内の友人は「大和川温泉のおかん」の記事を あのおかんに読ませてあげたいと、プリントアウトしたものを わざわざ そのおかんに届けようとしてくださいました。
お礼の言葉もありません。

長い間会っていない私の旧友から届いたメールには、「貴君には、黒が似合うと思う。但し、貴君の黒は 他人を黒くしない黒です」と書いてありました。私にとってこれ以上の褒め言葉はありません。
熱いものがこみ上げてきます。
どうして こんなに やさしくしていただけるのでしょうか。

少し判ってきたことがあります。
自分を飾ることなく語り始めたとき見えてくる世界。
ひとりぼっちだった自分を はっきり見えないけど あったかい手でつないで居心地の良い輪の中へ 連れて行ってくれるのです。
ひとりぼっちじゃないと自覚できたとき、心の底から湧きあがってくる清らかな喜び。
それが、感謝のこころなのだと、少し判ったのです。

この投稿欄をどなたかが読んでくださっている、この見えざるつながりはこの上ない私のよろこびです。
心より感謝申し上げます。

どん底の災難にあってもなお穏やかな能登のお年寄りの顔つきに、この見えざるつながりの励ましを ダブらせています。