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『重力ピエロ』で感じたこと

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加瀬亮という俳優の魅力と <重力ピエロ>という題名に惹かれて、映画 『重力ピエロ』を観てきました。

6年も前に 大ベストセラーになった原作、実は、その存在すら知りませんでした。
作者の 伊坂孝太郎の作品は、まったく知りません。

だから これから述べることは、伊坂ファンなら、なに言ってんの ということだろうと思います。
親みたいな世代の「感想」と、聞き流してください。


主人公のひとり、弟 春と同じ年齢のころ、わたしも マハトマ・ガンジーに強く惹かれていました。
≪非暴力から生じる力≫ という著書を、あの頃 自分の一生のバイブルにする、そう誓ったものです。
でも 空々しいなにかが どっかしら引っかかって、70年安保学生紛争のときも 結局 体を張ってガンジー主義を貫くことはできませんでした。
空虚感に苛まれた時期でした。
ガンジー主義に憧れていながら、実は なんにも判っちゃいなかったのです。


春の部屋いっぱいに貼られた偉人たちの写真、マザー・テレサの写真もありました。
ひときわ大きいガンジーのポートレート、その後ろに隠された 母親をレイプした犯人の犯行現場30箇所のピンポイント地図。
春は これら犯行現場で放火行為を繰り返すことによって、自分の体内に流れる卑しい血を 浄化しようとします。
最後の浄化は、卑しい血の主とともに なにもかも炎で燃やし去ってしまうこと。

兄 泉水も、悪の権化のようなレイプ犯人(渡部篤郎)を溺死殺人する計画を立てます。
空家になっている 引越し前の家、母親がレイプされた部屋で、ついに兄弟は 「事を起こす」のですが、これは わたしの勝手な推量ですが、「事を起こした」あの場面は、兄弟の心の中で成就した 架空シーンではなかったか。


題名<重力ピエロ>の深い意味が、よくわかりました。
そして 兄弟たちの父親(小日向文世)の言動を通して、ほんとうのガンジー主義を(わたしなりに)理解することができました。
小日向文世演ずる父親も 渡部篤郎演じるレイプ犯も、実は 同じ人間の側面であり、真の非暴力主義とは、おのれに降りかかってくる外部からの暴力に対するものではなく、おのれの内部に宿る暴力に対する 深遠で高尚な生き方そのものを問う言葉だったのです。

ガンジーのポートレートの裏に隠された レイプ犯行現場のピンポイント地図が それを象徴しているように、わたしには感じられました。


新型インフル騒動で 街なかは閑散としているのに、映画館は超満員。
それも わたしたち夫婦以外、みんな若い人たちばかり、あっ いや ひとりお年寄りがいました。
そのおばあさんは、上映開始間際に入館して 係員に最前列の座席へ案内されていたので、記憶が鮮明なのです。
彼女は この映画を観終わって どのような感想をいだいたのだろうか、それを聞く勇気はありませんでした。

若者たちが 『重力ピエロ』に関心をもっていること、そのことが なにかとってもうれしいことのように思えます。