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グラン・トリノ

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先日 朝日新聞の「いわせてもらお」という投書欄に、『風格』と題して こんな投稿が載っていました。

クリント・イーストウッド主演の「グラン・トリノ」を見た。
傑作で、老境の男を演じる彼も すばらしかった。
「イーストウッドは、立っているだけで さまになるよ」。
さっそく 電話で姉にも薦めた。
姉は、「うちには、立っていだけで 邪魔になるのがいるけどね」。

立っているだけで さまにならなくても、せめて邪魔にならないようにするには イーストウッドに会いに行かなくては と、一日一回きりの上演になってしまった「グラン・トリノ」を 急いで観にいきました。


昭和38年、私の頭は 大学受験で占められていました。
テレビ西部劇「ローハイド」をみている間だけ、受験から開放されました。
もちろん 白黒です。
フランキー・レインの響きわたるような歌声が テレビから流れると、他のことは一切忘れることができました。
テキサス州からカンザス州までの長い道のりを、数千頭の牛を引き連れて旅をするカウボーイたちの物語。

クリント・イーストウッドが若かった。(当時 あのカッコイイ若い衆がイーストウッドだったなんて まったく認識なかったですが・・・)
毎回 最後の場面、隊長が「しゅっぱーつ」と叫ぶと同時に、フランキー・レインの歌が流れる。
ああ もう終わってしまった、この歌で現実へ戻らなくてはならない。
土曜日の午後10時からの1時間が、あの頃の私の ゴールデンアワーでした。


その後、マカロニウエスタンの 呼称B級洋画で見たイーストウッドは、ローハイドのロディ役が印象に残りすぎてか、私をクレージーにさせるほどではありませんでした。
ただ、それまでのハリウッドスターにはない、いかがわしさのなかにキラッと光る人間くさい温もりがあり、イーストウッドって ちょっといいじゃん、そんな感じでした。

ハリウッド映画が たそがれ出した60年代後半から70年代にかけて、イーストウッドという俳優は、私にとって ちょっと気になる存在だったのです。


80年代 90年代と、私の生活から 映画は遠いものになっていました。
イーストウッドの話題作 「許されざる者」も 「マディソン郡の橋」も、みていません。
イーストウッドという名前が ふたたび私の心をとらえたのは、2004年の正月にみた 「ミスティック・リバー」という 彼の監督作品です。
イーストウッドって こんなすごい映画を監督するんや、これは ちょっとしたカルチャーショックでした。

このときからのち、スクリーン上で男の生きざまをリーディングしてくれる 15歳上のイーストウッドに、惚れ込んでいきました。
「ミリオンダラー・ベイビー」での老ボクシングトレーナー役も すばらしかった。
老いに対する憧れというか、一種の尊い風格を見いだしました。


そして 今回の「グラン・トリノ」。
冒頭の投稿とおり、立っているだけで ほんとにさまになっているイーストウッド。
グラン・トリノとは フォードのクラッシク車種名だということすら、映画をみるまで 知りませんでした。
この題名が暗示しているように、内容は アメリカのいまを突き、矛盾と虚構に対するさまざまなことを考えさせられますが、そんなことを遥かに飛び越して、この映画のウォルトという老人の姿を借りて訴える、イーストウッドという ひとりの老人の生きざまに、私は限りない共感を覚えました。

「生きることとは、納得の死に場所を見つける旅。」
誰かの受け売りなのか、自分が強くそう感じたのでしょう、青年期の日誌の見開きに 私はそう自筆しています。
ラストシーンを飾る ウォルトの死にざま。
これこそ、私が青年期から追い求めていた 死に場所です。
現実は もちろん、そう甘くはありますまい。
しかし、死という 人間が授かった最後にして最大の切り札を どうするか。
これは、誰もがいつかは真剣に対峙しなければならない、不可避課題です。

その一つの理想像を、イーストウッドは示してくれました。
自ら宣言しているように、俳優として最後の作品になるであろう この映画のラストシーンを、文字通り 死に場所としたのです。

クリント・イーストウッドに 心から拍手喝采です。