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聖母たちのララバイ

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口元が 表情をゆたかにする大切な部位であることを、このたびの新型インフルエンザ騒動で 思い知らされました。
悪事をはたらくときや 後ろめたい行為にでるとき、目出し帽や頭巾をかぶる心境が、マスクをしていて また マスク顔に囲まれて、なんとなく理解できました。
口は、しゃべらなくても いろんな情報を発しているんですね。


神戸・大阪の街がマスク一色となった 先月の23日、大阪ザ・シンフォニーホールで 京都フィルハーモニー室内合奏団と岩崎宏美のコラボコンサートがありました。

誕生日が近い家内とわたしの ささやかな自分達の誕生日祝いにと、家内がだいぶ前から そのチケットをとっておいてくれました。
公演中止が危ぶまれましたが、直前の電話確認でOKとのことで、厳重にマスクをして出かけました。


岩崎宏美の「聖母たちのララバイ」がヒットしたころ、わたしは淡路島での線香製造ラインの仕事に没頭していました。
明石大橋はまだできていませんでしたから、阪神高速の須磨で下りて フェリーで淡路島の大磯へ45分間の船旅でした。
車から離れて 海風に肌を撫でられる このフェリー上での45分間は、ゆったり流れていた学生時代の贅沢な時間を いっとき 懐かしく思い出させてくれたものです。

ところが シーズンになると、このフェリーは大変な混みようとなりました。
淡路島での泊りがけの仕事を終え、へとへとになって大磯のフェリー乗り場に着いて、それから2時間待ち3時間待ちは ザラでした。
長い長い待ち時間、車の中で「聖母たちのララバイ」をなんど聴いたことか。

この曲に癒された “戦士”たちが いかに多かったか、当時のヒットチャートの度数が それを証明しています。
作詞者の山川啓介という名前は、当時まったく認識なかったのですが、作詞者はたぶん同年輩の男性だろうと思っていました。
あんな男本位の歌詞を 女性が作るはずがない、そう思いながらも 岩崎宏美の透き通るような歌声に、こんなマドンナの胸に抱かれてみたい夢想に酔ったのです。

ちなみに 山川啓介氏は、青い三角定規が歌っていた 「太陽がくれた季節」や 中村雅俊の 「ふれあい」の作詞者なんですね。
なんとなく 納得しました。


公演は、ちょっと異様でした。
観客席みんなマスク覆面姿。
ステージから 岩崎宏美も、「異様な雰囲気ですねぇ」とコメントしていました。
マスクのせいもあったでしょうが、静かな でも 心からの拍手の観客と、京フィルのでしゃばらない演奏と、そして 岩崎宏美自身の人間的成長の落ち着きから、しっとりとした時間が流れるコンサートでした。

アンコール曲として歌われた「聖母たちのララバイ」は、27年前の高揚した感情に導くのではなく、あの頃の自分に対するレクイエム(鎮魂歌)のような、安らかな気持ちに浸してくれました。


「聖母たちのララバイ」に癒された あの当時の戦士たちは、ひょっとしたら とんでもない勘違いの目標に 翻弄されていたのかもしれません。

ただ、そういった苦い過去への自己批判を飛び越して、「聖母たちのララバイ」は、ダサいといわれようが クサいといわれようが、間違いなく、母の愛を失った眠れない戦士たちの子守唄として 存在したのです。