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テレビっ子

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表題を間違いました
テレビっ子ならぬ、テレビじじいなんです。
それも、テレビドラマ。
4~6月期の夜10時台は、火曜日から金曜日まで、テレビにかじりついています。
だから、寝不足。

火曜日は、『白い春』。
水曜日は、『アイシテル』。
木曜日は、『ボス』。
金曜日は、『スマイル』。

それも、先週で みんな おしまいですが・・・(また、7~9月期が始まるかぁ)


「歌は世に連れ・・・」 といいますが、テレビドラマも 世に連れて変わります。

30年近く前、山田太一の 『ふぞろいの林檎たちへ』というドラマに夢中でした。
サザンオールスターズの 『いとしのエリー』のメロディーとともに・・・そのときの出演者、中井貴一や時任三郎、手塚理美・・・みんな お父さんお母さん役の年代になりました。
山田太一の作品、『男たちの旅路』も 『岸辺のアルバム』も 『沿線地図』も、よく覚えています。

人と繋がっていたいくせに、「愛」という言葉の持つ嘘っぽさ、人間のどろどろしさを なんとなく感じ取っている登場人物たちに、共鳴していたからだと思います。
倉本總や向田邦子の作品も、必死で観ていました。

これらのテレビドラマは、わたしの理解範囲内の いわば分身的存在であった訳です。
真剣に、「愛」と呼ばれる何かに、向き合っていたはずです。


1990年代、高視聴率の 「月9」ドラマの地位を確立した 『東京ラブストーリー』から 『ロング バケーション』にいたる、いわゆる 「トレンディドラマ」も、それなりに おもしろく見ていました。
でも それは、当事者としての興味ではなく、異世代への理解度を深める的な、少し離れた位置からの“観戦”でした。
わたしの理解範囲外からの眺めだったのです。
30歳そこそこで どうしてあんな立派なマンションに住めるのだろう・・・とか。
そういう現実の時代だったのだろうし、それなりに みんな一生懸命だった。
でも なにかしら、何かが安らかでなかった。


阪神淡路大震災、9.11アメリカ同時多発テロ・・・
少しずつ 変わりだしました。
平穏な日常の連続の中では、なかなか見出せないもの。
愚かなわたしは、一種の災害願望みたいなところがあります。
たとえば 大地震でも起きて、みんなが危機に瀕して助けあわなきゃならなくなれば、案外いまの空虚さは無くなるんじゃないか といった、たいへん不遜な考えです。
昨今の 「戦後最大の危機」も、このような不遜な考えで 眺めているところがあります。
そして 現に、テレビドラマが変わりました。

『白い春』は、見えにくくなった “父の愛”を、
『アイシテル』は、独りよがりになりかけた “母の愛”を、
『ボス』は、ちょっと置いておいて、
『スマイル』は、一見忘れ去られたかのようにみえる偏見な “他人への愛”を、
それぞれのドラマは、語りかけています。

ほんとうの 「愛」の気づき、みたいな、そんな “愛の方向”。
世の目が そういう方向にたぶん 向きつつあることに、わたしは好感を覚えます。


ところで、「愛」という言葉ですが、この日本語は どうも誤解を招きやすい。
「愛」が表現しようとする概念と、「愛」と口ずさんだときの情念が、どこかで乖離しているように思えるのです。
人は 人と繋がっていたい。
これは事実です。
それを、しょっちゅう携帯電話することで、その気になっている。
人間と人間のつながりに対する飢えを、愛の欠乏からくるものだとの表現は、真実を伝えているのでしょうか。
どうも 実態が言葉を得ていない。
「愛」という言葉が とても軽薄に使われ過ぎでは と、自分も含め このごろ思うのです。

これまでの 「愛の欠乏」から いまは直江兼続の愛がもてはやされていますが、軽薄に使われた 「愛」は、そのうち白けが出てくることでしょう。
人と繋がっていたい という願望は、食欲や性欲と同じレベルの 一種の本能であって、それを 「愛」などと表現するから 誤解が生まれるのです。
そんな 「愛」を価値基準や行動基準にしようとするから、愚弄されただの 捨てられただのと 騒ぎ立てるのです。

「おてんとうさま」への畏敬の念を 生活規範にできている人は、強い。
だって ブレがありません。
なんで ここで、「おてんとうさま」なんや ですが、ほんとうの 「愛」は 結局のところ そういう 普遍で不変な “大きな何か”に行きつくのです。

常はおとなしいのに いざというとき喧嘩にめっぽう強い人、一つのことに飽きもせず こつこつ仕事している人、山で遭難したとき動物的本能で生きる知恵がうまれる人・・・
こういう 魅力的な人は、共通して 「おてんとうさま」的嗅覚を持っています。
そして、共通して 「何がいちばん大切か」を心得ています。
だから、小欲です。
禁欲ではなく、多くを望まないことに慣れているのです。

おてんとうさまへの畏敬の念を 愛と呼ぶのなら、そういう 強い 「愛」が、いまの社会に必要なのだと思います。


『白い春』も 『愛してる』も 『スマイル』も、そういう 「愛」を予感できる すばらしいドラマでした。
最後に 『ボス』のことですが・・・
女性に叱られることを覚悟で言うのですが、わたしは 女上司のもとで働く気は、まったくありませんでした。
でも 天海祐希のようなボスなら、その下で働いてもいいです。