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ブレイクスルー

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洞察力豊な文体で教育学を論じる 斉藤孝の著書は、いまや本屋の店頭を常に賑わせています。
「身体感覚を取り戻す 腰・ハラ文化の再生」 (NHKブックス) は、ひと昔前なら当たり前だった身体感覚を 失いつつある現代人に警鐘を鳴らす身体論の先駆けとなった名著だと思います。

最近読んだ彼の著書 「天才になる瞬間」(青春文庫) が発するテーマ “ブレイクスルー” は、自分の才能を ふと肯定する瞬間を表現しており、世の中で天才と呼ばれる人たちが 人生のどこかで体験した “突き抜ける” 瞬間を紹介しています。
ここに書かれているような 大それたブレイクスルーではなくても、人生の転機のような瞬間は、誰にでも経験があるのではないでしょうか。


稽古事の長続きしない私ですが、習字だけは小学校1年から大学院2年まで続けることができました。
龍門社という書道塾を興された 森岡峻山先生の魅力のお陰です。

先生のお宅の稽古部屋に置かれた 大きな長方形の稽古机のどこに座っても、先生の向かいでも 右脇でも 左側でも、先生は筆を持った生徒の手に手を添えて お手本の字をすらすらと書いてくださる。
力強い先生の筆致を 私はとても好きでした。
おさらいの宿題を忘れていくと、墨のにおいのする大きな手で鼻を抓まれるのです。
それがちょっと怖かった。

成人式を終えた年の夏休み、南禅寺で毎夏開かれていた 龍門社の合宿 “夏書(げがき)” に参加しました。
秋の龍門社展覧会に出品する作品を 集中的に仕上てしまおうと、先生の手本を頼りに猛稽古(?)。
疲れると レンガ作りの天上水道の脇から疎水の流れに沿って インクラインへ散歩。
ひんやりとした夏の夕風が体の芯までさわやかに吹き流してくれます。時が止まったような数日間。

夜のミーティングで聴いた先生のお話。
『五分五分のときはなぁ、積極的なほうを選ぶんや。そしたら たとい失敗しても 後悔せえへんだけでもええやろ』

この夏書での体験は、その後の私の生き方を決定するような 私にとって深い深いブレイクスルーでした。

卑近な例ですが、その数年後に いまの連合いを射止めたのも、あの夏書の雰囲気の中で聴いた 森岡先生の話のお陰です。


五木寛之の著書 「林住期」(幻冬舎) の中で 著者が言い表している 「家住期」を、私はこのブレイクスルー体験の余波で突き進んできたように思います。
でも 「林住期」 を迎えたいま、もうひとつのブレイクスルーが必要な気がします。

好きな英語表現に “I'm proud of you.” というフレーズがあります。
大切な人から “I'm proud of you.” と言ってもらいたいばっかりに・・・それが 「家住期」 の 私のエネルギーだった。
何かに突き動かされているみたいに。
それはそれでよかったのです。

義母の死は、もう一つのブレイクスルーのような気がします。
義母が元気なときには はっきりと気づかなかった彼女の生きざまから、その死に直面したお陰で浮かび上がるもの。

『人さまに迷惑のかからない欲望は、すべて善である』
楽な(楽しい)生き方をしなさいと。

人から言われる “I'm proud of you.” ではなく、人に “I'm proud of you.” と。