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防人の詩

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このところの蒸し暑さと 体調の悪さで、真夜中に目が覚めて それから眠れぬまま、レコードを聴きながら 無聊を慰めることが 多くなった。

いまも BOSEのスイッチを押したら、家内が寝しなに聴いていたのだろう、平原綾香の 『明日』が 流れてきた。
思い出した。
テレビドラマ、倉本總の 『優しい時間』の主題歌だったなぁ。
平原綾香の ささやくような静逸な歌声は、眠れぬわたしの脳に やさしく滲みわたる。
このアルバム <ODYSSEY>を、聴き進んでいく。
『Brand-new Day』が、気に入った。
わたしの魂にまだ宿っている 若い情熱を、じわじわと呼び醒ますメロディー。
“Track Repeat”モードで、繰り返し聴いている。

この状態じゃぁ 当分眠くなりそうもない。
さだまさしの 『風に立つライオン』が なんかのドラマの中で紹介されていて、先日 河原町の清水レコード店で、この曲が入っているアルバムを買っておいたのを思い出して、封を切って かけてみた。
好きな曲 『道化師のソネット』も、入っている。

聴き進むうち、『防人の詩』が流れ出した。

最近 親しい人の死が続いている。
死に 思いをめぐらさずにはおれない。
親しい人の死に直面するとき、死ぬことって いったい何なのだろうと、素朴に疑問に思う。

初めて 死ということに深く思いを至らせたのは、祖母の死であった。
中学二年のときだった。
それは、わたしにとって強烈な思索であった。

常は 死は縁遠い。
生きていることって、死を忘れてることでもある。
真に生きることは 真剣に死と向き合うことだ などと、哲学書は教えるが、凡人には 生きることで精いっぱいなのが 現状だ。

だが、とことん生きることに疲れた時、死は すぐ傍に寄り添ってくる。
そして 死が、もっとも大きな関心事になる。
宗教も 哲学も、いまのところ わたしに明確な回答をよこさない。


ところが、である。
『防人の詩』を聞いて、まるで不思議なくらい 清らかな涙が流れ出た。
死を、これほどまで 感覚的に理解できたことはない。
このメロディーは、人間の生の根底に 深く深くしみじみと触れることによって、死を昇華してくれている。
それも、重苦しくなく・・・

わたし自身 いつか、ひょっとしたら近々、死に直面するだろう。
これは、生きとし生けるものの さだめである。
そのとき、きっと 『防人の詩』を所望するだろう。
この歌を聴きながら、静かに眠りたい。
それが いま、贅沢な望みである。


常用している眠剤は 効かなくなってきた。
ブランデーを コップ半分、ゆっくりと飲む。
ようやく 眠気を催してきた。

こんなことの繰り返しの、毎日である。