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アーミッシュの生き方から学ぶもの

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アメリカ東部ペンシルベニア州で、3年前 キリスト教の一派 アーミッシュ運営の学校が襲撃された事件を、覚えてられるだろうか。
ランカスター郡にあるウエスト・ニッケルマインズ学校に、散弾銃、短銃、ライフルを持った男が侵入し、女子児童らを人質にとって 立て篭もった。
約1時間後 州警察が学校を包囲したが、犯人が発砲、人質の10人の女児を撃ち 5人が殺された事件である。

銃乱射事件が続いた当時のアメリカで とくにこの事件が わたしの記憶に残っている理由は、被害者であるアーミッシュの人たちがとった 神か仏のような行動であった。

殺害された13歳の女の子が 年下の子どもを逃がそうと、「自分を先に撃ってください」と 犯人の32歳の男(犯行後に自殺)に申し出ていたことが、事件後の生存者の証言で判った。
この女の子の妹(11歳)も、自分を撃つように男に訴えたという。
妹は、撃たれて肩などを負傷した。

事件後には、犯人の妻やその3人の子どもが 多くのアーミッシュの人々に抱擁される場面もあったほか、犯人の妻は 犠牲者の葬儀に招かれたとも聞く。


いま 京都の思文閣美術館で、≪Plain People アーミッシュの生き方≫展が催されている(8月2日まで)。
家内の友人の浦地瑞穂さんから この催しのチケットをいただかなかったら、アーミッシュを良く知らないまま、あの事件も 記憶の彼方に散っていたことであろう。

オウム真理教のいやな印象が強すぎて、アーミッシュという宗教集団を、週刊誌の見出し文字的な認識だけで 捉えていたようである。

≪Plain People アーミッシュの生き方≫展をみて、また そこで入手した 『アーミッシュの昨日今日明日』(ドナルド・B・クレイビル著:論創社刊) を読んで、そして 東京工芸大学工学部基礎教育研究センター教授の 野呂浩氏の寄稿文 『アーミッシュ・ウェイ・オブ・ライフ』 に触れて、アーミッシュの生き方がどんなものであるか 少し判ったような気がする。

少し判ったような気がして、おぉ!と気づく たくさんの猛省がある。
神か仏かのようなアーミッシュの少女の行動を ほんのちょっと理解できそうな、身震いが起こりそうな啓示がある。

アーミッシュをほんの少し知った程度のわたしが、数行の文章で アーミッシュを説明できるはずもないが、この展示場で わたしが啓示みたいなものを受けた展示パネルのいくつかを、紹介しよう。


“すべきこと”
男性のあごひげ(結婚後)
馬車の利用
ペンシルベニア・ダッチ(ドイツ語の古語から訛った言語)の使用
色や形のほぼ決まった衣服の着用


“してはいけないこと”
カメラ,テレビ,コンピュータなどの使用
航空機の使用
訴訟をおこすこと
兵役につくこと
宝石などの装飾
自動車の所有・運転
高等教育を受けること
離婚



いま 世界は、大きな転換点にある。
マネー資本主義の崩壊は、わたしたちに そのことを知らしめた。
では これから、わたしたちは どうすればいいのか。

政治が悪い 社会が悪い、声高にそう叫んでも それで何が解決できるのか。
ひとりひとりの幸せは、ひとりひとりの心のあり方ではないか。

心のあり方に、あえて二つを挙げるなら、ポイントは 「謙虚」と 「少欲」であろう。
そのことを、アーミッシュの生き方から はっきりと学ぶことができる。


もともと 日本人は、謙虚な民族であったはずだ。
それが いつしか、自己主張、個性尊重、競争原理が まかり通り、謙虚な心は どこぞへ忘れ去られてしまった。
自我を殺したみせかけの謙虚は、卑屈である。
いつのまにか、卑屈を謙虚と履き違えてしまっている。

「自分で復讐することをしないで、神の怒りに任せなさい」と教えられたアーミッシュの子どもたちは、自我を殺すのではなく 自我を無限の愛に 自然に昇華している。
まことに謙虚なのだ。

欲が 人間を高きに引き上げる要素であることは、真実である。
しかし 強欲が人を蹴落とし、ついには戦争という 人間最悪の業に行き着かせてしまうことも、また真実である。

アーミッシュは、絶対平和主義である。
その障碍が 欲であることを、アーミッシュは 長い迫害の歴史から学んだ。
だから あえて、欲をあおる要素、≪便利なもの≫を排そうとするのだ。
それは、禁欲の苦しみを ほんとうに知った者のみができる、知恵である。

少欲の愉しみ 「足ることを知る」、これも もともと日本人の美徳ではなかったか。

謙虚と少欲、わたし自身 この二つから程遠いから 余計思うのだが、ひとりひとりのレベルで達成可能な そしてそれが、最終的に世界に安寧をもたらすことになる と、アーミッシュの生き方から学ぶことができた。


≪便利≫の味を知った わたしたち現代人は、もはや アーミッシュにはなれない。
しかし、わたしたちが進むべき未来への 大切な指針のいくつかを、≪アーミッシュの行き方≫から学ぶことができると 確信する。