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黒い稲妻の死

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また ひとつ、青春の塔が消えました。
スキー王国オーストリアの英雄、黒い稲妻こと トニー・ザイラーが、この世を去ったことを、おとといの新聞が伝えていました。

スキーは、いまやマイナーなスポーツになってしまいましたが、半世紀前は 日本でも、テニスに次ぐ 憧れのスポーツでした。
1956年、イタリアのコルティーナ・ダンペッツォで行われた冬季オリンピックで 初の3種目完全制覇を成し遂げたトニー・ザイラーは、わたしの10歳上 当時20歳でした。

トニー・ザイラーのかっこよさを知ったのは、映画 『黒い稲妻』でした。
トニー・ザイラーは、1960年のアメリカ・スコーバレーオリンピックを待たずに引退し、映画俳優に転身します。
その出世作が、『黒い稲妻』です。

この映画を観て、どうしてもスキーをしたくなりました。
スキー、というより トニー・ザイラーに憧れて、無理をして道具を揃え やっとこさ本格的にスキーを始めたものの、どうしてもパラレル・クリスチャニアがうまくできず、シュテム・ボーゲンの2級止まりで 終わってしまいました。
スキー歴は 他の趣味ごとと同様 そんなところでしたが、トニー・ザイラーの追っかけのほうは 年季が入っていました。

『黒い稲妻』に続いて大ヒットしたのが、『白銀は招くよ』。
その主題歌は、いまでも ソラで歌えます(同世代の方なら同じでしょうが・・・)。
日独合作映画にも 出演しています。
鰐淵晴子や笠智衆が出演した 松竹映画 『銀嶺の王者』です。
そして 女子フィギアスケートの旧西ドイツ選手 イナ・バウアーと共演した 『白銀に踊る』や 『空から星が降ってくる』、映画の質という点では もうひとつでしたが、トニー・ザイラーの魅力がいっぱい感じられる映画でした。

トニー・ザイラーは、華やかな映画界で活躍する一方で、スキー界への貢献も忘れなかったと聞きます。
自国オーストリアのオリンピックスキー選手を育成し、地元では 子供のためのスキー学校の校長を務めていました。
W杯の大会委員長も 務めています。
銀幕のなかの かっこよさは、ほんものだったのです。

トニー・ザイラーは、やっぱり わたしの青春のモニュメントに、相違ありません。