YAMADA IRONWORK'S 本文へジャンプ
位と いうこと

文字サイズを変える
文字サイズ大文字サイズ中



作家 石牟礼美智子氏の、『馬と猫と』というエッセイを、眠れぬままに夜中 ゆっくりと読んだ。
馬と猫のうち 馬の話のほうに、引き付けられた。

石牟礼氏の父上は、「馬というものの位は、人間よりはるかに上ぞ」と 常々言ってられたそうな。
父上は十二歳の時、村の庄屋のばばさまのところへ、奉公にいった。
仕事は走り使いと、二頭の馬の世話。
競走馬ではない。
田植えの前に、麦を刈りとったあとの田んぼを鋤き返し、水を入れ、水田化する作業を頼む農耕馬である。
ときには 重そうな長い杉の木を束ねたのを、首を上下に振りながら、かっかっと蹄をあげ、重そうに曳いてゆく。
その世話というのが大へんで、朝は暗いうちから起きて 草刈りにゆかねばならない。
朝露にしとど濡れている草を束ねて背に負うと、人間は見えず、草の束が動いているように見えたという。
父上は、「馬はいやしい精神を持たぬ」と、畏敬していた。
それは、あの、優しげな馬の目をみれば 判る、というのである。

わたしは 馬の世話をしたことがないから、石牟礼氏の父上のように 馬と情を通いあわす喜びは知らないが、動物の中で 馬がいちばん好きで、たまには その高い背に揺られる爽快を味わうことがある。
たしかに 馬の眸は、どの馬もどの馬も 美しい。
人間より位が上だという意味が、馬の目を見ていると なんとなく判るような気がする。

自我を表に出さず、やるべき仕事を黙々とこなしている職人を、知っている。
文句一つ言わず、夫や子供や年寄りの世話を穏やかにこなしている主婦を、知っている。
彼らの出自がどんなだか、知らない。
たぶん 経済的にさほど豊かでないことは、想像できる。
社会的地位や肩書など、持っていない。
そんな彼らの存在に 位なるものを感じるのは、なぜであろうか。

位ということを、優しげな馬の目で なんとなく理解できているわたしには、そのわけが 判る。