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水、空気 そして 鉄 ・・・鉄がなければ生きてゆけない・・・

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・・・不図(ふと)眼を上げると、左手の岡の上に女が二人立ってゐる。
女のすぐ下が池で、池の向ふ側が高い崖の木立で、其の後ろが派手な赤煉瓦のゴチック風の建築である。
そうして落ちかゝった日が、凡ての向ふから横に光を透してくる。女は此の夕日に向いて立っていた。
三四郎のしゃがんでゐる低い陰から見ると岡の上は大変明るい。
女は一人はまぼしい(眩しい)と見えて、団扇(うちは)を額の所に翳してゐる。
顔はよく分からない。
けれども着物の色、帯の色は鮮やかに分った。白い足袋の色も眼についた。・・・


これは、夏目漱石著 「三四郎」に出てくる、一場面だ。
三四郎が はじめて、里見美禰子(みねこ)の姿を見た場面である。
池というのは、東京大学本郷キャンパスにある 三四郎池に違いない。

実は わたしは、三四郎池も 安田講堂も、見たことがなかった。
小説 「三四郎」を読んだときから、東大本郷キャンパスは 憧れだったのに、である。
中央嫌いというか 権力嫌いというか、訳のわからぬ反発心から、訪問の機会はあったのに 東大を尋ねることを避けた。
いまは もう、そんな理不尽な若気はない。


<鉄、137億年の宇宙誌> という展示会が、東京大学総合研究博物館(東大本郷キャンパス内)で催されている(10月末まで)。
他用のついでもあり、思い切って この展示会を見に行った。
そして、積年気がかりだった 東大本郷キャンパスも。


鉄とわたしの関わりは、宿命っぽい。
幼いころの遊び場は、‘枯らし’ を目的に屋外に放置された 鋳物部品の山であった。
油の臭いがプンプンするキリコ(切削鉄屑)の、クルクル巻きやキラキラ粉は、不思議な魅力を持つ芸術品に思われた。
紆余曲折はあったものの、進んだ専門も 鉄に深く関わる機械系だった。
社会に出て 初めて就いた仕事の対象も、製鉄機械だった。

そして なによりも、社会人として生活した時代が、鉄の時代だった。
社会人になった年は、八幡製鉄と富士製鉄が合併して、新日本製鉄が誕生した年だったのである。


<鉄、137億年の宇宙誌> は、宇宙のビッグバンでの鉄形成から 超高純度鉄の持つ近未来のすばらしい可能性まで、物理学や天文学、地球科学、生命科学、材料工学、資源工学、考古学、経済学など さまざまな分野の専門家が集い 練り上げた、「鉄」をキーワードとした 新たな宇宙誌の提示である。

今回の展示会で わたしは、いままで抱いていた 鉄に対する偏ったこだわりから離れて、新鮮な驚きと興味をもって、改めて 鉄を見直すチャンスを与えてもらった。
それは、いままで考えていた 鉄に対する正しい認識を、より強固にするものでもあった。
その ‘正しい認識’ とは、冒頭のタイトルにした 「水、空気 そして 鉄」という認識である。
「鉄がなければ 生きてゆけない」という、認識である。


水や空気が その重要性にも関わらず いままで当たり前とされてきたように、鉄は、可視的な意味で あまりにもありふれた人間社会の風景に溶け込んでしまった。
橋梁やビルや機械や自動車や、そんな 眼に見える鉄の存在すら、水や空気のようになっているのだ。

だが もっと大切な鉄の存在、鉄は、人間が いや生命が、生きていく上で不可欠な存在であるということを、知識としてすら認識している人は 意外と少ない。


鉄は、この地球の重量の 3割を占めている。
地球の中心部は、大量の高熱の鉄が ドロドロしている。
このドロドロの鉄が 強力な磁場を作りだし、わたしたちが住む地球表面を その磁場で覆っているお陰で、生命にとってきわめて危険な宇宙放射線は、地表に届かない。
鉄の存在が、地表を 生命に安全な環境へと変えているのだ。

ミクロな視点から見ても、鉄の重要性に驚かされる。
地球上の生命体は 鉄がなければ生きてゆけないことを、日常生活で実感するのは むずかしい。
むしろ、食品にわずかな鉄屑が混ざっていても、コンタミとか言って 毛嫌いする。

血液が赤いのは 赤血球が赤いからであり、その中に含まれるヘモグロビンという物質がその原因であることは、よく知るところである。
ヘモグロビンは、鉄を中心に構成されており、呼吸を通して取り入れた酸素を 体の隅々まで運ぶという重要な役割を担っている。
ヘモグロビンなる言葉の意味を漠然と知っていても、鉄欠乏症のほんとうの怖さを知らない。

人間だけではない。
例えば イネの生育は、鉄分を吸収しにくいアルカリ土壌では 極端に押さえられることが分っている。
運搬体の鉄分が欠乏すると、土壌の養分を 十分に取り入れることができないのだ。


鉄の考古学的発掘品は、きわめて少ない。
むかし 鉄を作る技術が未熟であったため 鉄製品の数が少ないから、残った鉄製発掘品も少ないということも事実だが、鉄は酸化してボロボロになるので 原形を保った形で残りにくく、また 不要になった鉄製品は もう一度溶かして再利用されたことも、考古学的鉄製遺品が少ない 大きな理由である。

このことは、非常に深い意味を持っている。
つまり 鉄は、自然に還りやすい金属であり、また リサイクルし易い金属であるということを 意味する。
まして 鉄は、チタンやリチウムのような レアメタルと違って、この地球に豊富に存在する金属なのだ。


鉄隕石を細工して鉄製品を作っていた おおむかしの段階から、砂鉄を溶かして鉄製品を作った段階を経て、産業革命時 鉄は飛躍的に大量生産されるようになる。
むしろ 鉄が大量に生産されるようになったから、産業革命が促進された と言うべきかもしれない。

この時期 製鉄技術の発達と同時に、磁性という鉄の特性が理解され 電気エネルギーを利用できるようになった。
有用機械による効率化と電気文明の発展は、産業革命以後の世界を 大きく変えたが、その起爆剤となったのは まぎれもなく 鉄である。


話が少し専門的になるが、製鉄過程(高炉)で鉄は、純鉄が冶金されるのではなく、炭素との合金である銑鉄(せんてつ、ズクともいう)として 製造される。

銑鉄は、鋳型に流し込んで 鋳物製品となるが、他方 銑鉄は、転炉に移して 余分な炭素を酸化除去して 鋼(はがね)に作り変えられる。
炭素が 2%以下になった鉄と炭素の合金を、鋼と呼んで、鋳鉄と区別している。

鋼は、ねばくて 疲れ強さが大きく、展延性に富む。
しかし 鋼は、鋳鉄のように 鋳型に流し込んで所要の形状にすることは、通常はできない。
わたしたちの生活を支える鉄製品は、そのほとんどが鋼である。
鉄といえば、鋼なのである。

もう少し 詳しく説明する。
鉄が固体の状態で炭素を完全に溶かしこむことができる量は、1150℃での 2.0%が最大で、これより温度が上がっても下がっても、鉄に溶ける炭素の量は減少する。
2.0%以上の炭素は、1150℃の温度以下では、セメンタイト(鉄と炭素の化合物)という 非常に硬くてもろい性質の組織となって析出する。

鉄が固体の状態で炭素を完全に溶かし込むことができる量は、温度によって異なり、上記のように 1150℃では 2.0%だが、常温では 0.03%で、これ以上の炭素は セメンタイトとして析出する。
炭素が鉄に完全に溶け込んだ状態の組織を、フェライトと呼ぶ。

フェライト組織は、柔らかで きわめて展延性が高い。
鉄に溶け切れない炭素は、セメンタイトとして析出するが、炭素が 2.0%以下では 常温でも、セメンタイトがフェライトとベニヤ板のようにお互いに層状に並んで存在する(これを 「共析」という)。

この 「共析」状態の組織を、パーライトという。
0.03%以上に炭素を含む鉄と炭素の合金は、炭素量が 0.03%から 0.8%の間では フェライトとパーライトの交じり合った組織になり、炭素量が増すにしたがって フェライトとパーライトの面積の割合が パーライトの多い組織になる。
そして 炭素量が 0.8%になると、全部がパーライトのみとなる。

顕微鏡組織を共析の状態で区別して、炭素量 0.03%から 0.8%までを 「亜共析」と呼び、炭素量 0.8%から 2.0%までを 「過共析」と呼ぶ。


長々と 鉄と炭素の合金の話をしたが、それは 鉄の特性を基本的に決定付けるポイントだからである。
このように 鋼が、温度と炭素量によって 性質の異なる状態に変化することを、「変態」と呼んでいる。
変態を深く追求したからこそ、日本の鉄鋼業が世界のトップクラスに君臨できたのであって、日本の優れた熱処理技術も、この変態の研究の 輝かしい成果なのである。
極論すれば、鉄は 変態するからこそ、他の金属の追随を許さない他位を築いた、とも言える。


鉄にも 不利な点が、いくつかある。
その一つに、錆びるということを挙げる人が多い。

わたしは、錆びるということを 決定的な欠点だとは思わない。
むしろ鉄は、錆びるからこそ 自然循環の一員になり得ると、解釈する。
錆びにくくするには、ニッケルやクロムとの合金を作ることで その目的を立派に果たしている。
ステンレス鋼という、特殊合金鋼だ。

しかし、ニッケルもクロムも、レアメタルに近い。
なるべく 使いたくない金属である。
優れた表面処理技術や熱処理技術で、所要の防錆効果は 十分に得られる場合が多い。


鉄の不利な点の最たるものは、製鉄過程で生ずる二酸化炭素の多さであろう。
鉄は、融点が高い(1535℃)。
しかも、鉄鉱石からの鉄冶金は 還元作用であり、この化学反応は 多量の熱量を要する。
したがって 鉄鉱石から銑鉄を作るには 大量のエネルギーを必要とし、その分 二酸化炭素の排出量も多い。
温暖化ガス規制という、世の流れに逆行するのではないかと、危惧する。

ここで、この展示会の最終ステージで 前東大学長の小宮山宏・三菱総合研究所理事長が ビデオを通して語られていた内容を要約して、この危惧の答えとしたい。

この引用文中の数値は 聞き覚えであり、間違っている点があるかもしれないことを ご了承願いたい。


現在 この地球上には、人間が有用に利用できる状態の鉄(鉄鉱石から大量の熱エネルギーを費やして還元作用で生産した鉄)は、200億トン存在する。
今後 世界の人口が増えて、仮に 2050年に現在の倍の人口になったとする。
たぶん、人口は そのあたりが上げ止まりであろう。
単純に計算して、2050年に必要とされる鉄は 現在の倍、400億トンとなる。
その分の熱エネルギーは必要だが、それ以後の鉄需要は、地上にある鉄製品のスクラップをリサイクルすることで 賄える。
いったん鉄に還元されたものを溶かして新たな鉄に作り変えるための熱エネルギーは、酸化作用であるから、鉄鉱石から鉄を生産する熱エネルギーの 1割以下で済む。
鉄スクラップから不純物を取り除くためのエネルギーを加味しても、十分バランスの取れた需要と供給が 期待できる。


東京大学総合研究博物館に入館したのは、開館早々の10時だった。
台風18号の接近の影響で 雨足が激しくなった外へ出たのは、午後1時を回っていた。
携帯傘に身を縮めて、本郷キャンパス内を探検することにした。
龍岡門の守衛さんにもらった地図をたよりに、ひとまず 三四郎池を目指す。

文学部3号館のアーチを潜ったところで、三四郎池を見下ろした。
眼下の三四郎池は、雨すだれに煙って 沼の様相を呈して見えた。
向こうの方に霞んで見える山上会館の裾あたりに、里見美禰子は 団扇を翳して立っていたのだろうか。

空腹を覚えて、安田講堂のまわりにありそうな 食堂を目指す。
地図には あちこちに食堂のマークが記されていて迷ったが、どの食堂も とても洒落ていて、余計に迷ってしまう。

肩と足もとが濡れたせいで、少々寒気がし出した。
安田講堂の近くの、工学部2号館へ駆け込む。

この館に入ってすぐのところにある 「日比谷松本桜」は 少々重そうなので、その奥のサンドイッチハウスの “サブウェイ”を選んだ。
アボカドエビサンドと、体が冷えたので、あったかいコーンスープを注文する。

古い洋館の校舎と校舎を 近代的な明るい建造物で繋いだ空間で、久しぶりに ちょっぴりアカデミックな雰囲気に包まれながら、昼食をとることができた。
なんだか 本郷キャンパスファンになった気分である。

帰りは、安田講堂を見て 赤門から校外へ出ることにした。
安田講堂は、さすがに厳然と聳えていた。
この雨模様にかかわらず、たくさんの見学者が 正面の並木道から安田講堂をバックに、つぎつぎと記念撮影をしている。

この人たちのうちの何人が、1969年 1月の事件を 思い浮かべているだろうか。
たぶん、数えるほどだろう。
あのとき、テレビに映し出された安田講堂は、そのときのわたしには ごく近くの大火事に思えて、痛々しかった。

ときは、大きく隔たった。
東京大学総合研究博物館を訪ねて いま、本郷キャンパスを 雨に肩を濡らしながら歩いている自分が、違う世界の自分のようで、思わず目をこすっていた。