YAMADA IRONWORK'S 本文へジャンプ
転機

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大学の教養部から学部へ移る、二回生も終わりの頃である。
学部ガイダンスのような説明会が あった。
そのとき聴いた 古橋助教授のお話を、忘れることができない。
それは、工学士とは というような内容の話で、つぎのようなものであった。


君たちは、湯川博士のように とことん学問を究める必要はない。
ものごとの道理を究めるのは、理学士の役目だ。
君たち 工学士を目指すものは、理学士たちが究めた ものごとの道理を正しく理解し、それを 人間に有用なものとして 利用できる能力だ。
君たちが正しく理解したものごとの道理を 判りやすく噛み砕いて、一般の人たちに判りやすいことばで表現できる能力が、君たちには必要だ。
だから 君たちは、半分は理系の頭、半分は文系の頭を 持たねばならない。


当時 わたしは、早世した友人の鈴村繁樹君と ある約束をしていた。
それは、親にも黙って 文学部哲学科へ転部しようという企てだった。
常々 わたしは、自分の理系能力を疑い、ほんとうにやりたいのは哲学だ などと 鈴村君に話していたら、彼も 同じようなことを考えていたらしく、意気投合して そういう密約ができていた。

古橋助教授の このお話を聴いているとき、わたしは、横に座っている鈴村君を チラッと見た。
すると、彼の視線と会った。
鈴村君も、わたしと同じ感動をもって 古橋助教授のお話を聴いていたのだ。

このガイダンスののち、鈴村君も わたしも、転部の話題を交わすことはなかった。


いまどき、理系だの文系だのと区別することが、理に叶っているとは思われない。
また 古橋助教授のお話も、適切な表現だったかどうか 疑問なところもある。
でも あのときのわたしにとって、古橋助教授のお話に触れることができたのは、その後の人生を左右するほど とても重要なことだった。


人生には 大きな転機というものが、少なくとも二回あるという。
あの 古橋助教授のお話は、わたしにとって その大きな転機のひとつだった と、いまになって つくづくそう思う。