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油は機械の褒美肥え

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潤滑油設計は、ひと昔前の機械設計技術者の必須知識であった。
潤滑油の選択、給油配管の工夫、オイル交換方法の考慮など、油に関して考えなければならないことが 山ほどあった。

近年、グリースの品質の向上や無給油技術の進歩のお陰で、これらの煩わしさからかなり 開放された。
同時に、油の重要さの認識も遠のいた。

油に対する認識の衰え傾向は、製造現場においても 同様に見られる。特に食品工場では、油は嫌われものだ。
無給油設計やグリース封入が常識化している。食品に混入しても差し支えない潤滑油も、使用され出した。
歯車やチェインと油との深い関係を直に感じる機会が、極めて少なくなったのだから、この傾向は致し方のないことかもしれない。だからと言って、機械設備に対する油の重要性が減った訳ではない。

機械は、じっとしていない。
運動と力との関連において最も有効適切な働きをさせるのが、機械の目的であるのだから じっとしてはいられない。
動くところ、必ず、摩擦が生じる。摩擦は少ないほうがいい。潤滑油の存在価値はここにある。
一滴の油の凄さを、知って欲しい。

騒音、振動、発熱。
これらは、機械の “不当な扱われ方に対する抗議” の現れと見做してよい。この抗議は、一滴の油が ときほぐしてくれる。油膜は、数ミクロンあれば十分だ。
一滴の油の凄さを実体験すると、機械がいとおしく思えてくる。

作業が済んだら、機械をきれいに掃除するということは、 「菌発生を防止する」だけではない。
良く働いてくれました、ご苦労さん、との 機械へのいたわりの気持ちが 掃除作業には込められている。
掃除は、点検を兼ねている。機械への思いやりが、故障を未然に防いでくれる。
明日もまた、気持ち良く働いてくれるために、機械の要所に、油を注いでやろう。

“油は機械の褒美肥え” なのだ。