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愚公 山を移す

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中学の国語の教師で、「しじら」 という あだ名の先生がおられた。
「しじら」とは何なのか、いまだに理解していない。
が、なぜ 「しじら」なのかは、なんとなく分かる。

授業中、そんなに悪いことをした覚えがないのに 耳を引っ張られて廊下に出され、水のいっぱい入ったバケツを両手に提げさされた記憶からか、お天気屋の 怖い先生という印象が強い。
わたしも そうとう小生意気だったし、相性も悪かったのだろう。

「しじら」というあだ名そっくりの、いけ好かない先生だった。
おもしろいもので、そういう先生ほど 想い出が大きいものである。


菊池寛の短編小説 『恩讐の彼方に』を、学習していたときであった。
小説の主人公である了海(俗名:市九郎)が こつこつと青の洞門を穿つ情景を喩えて、「しじら」先生は、<愚公 山を移す> ということわざを 大きく黒板に書かれた。

ことわざの由来やほんとうの意味が 判っていたはずがないのに、このとき、<愚公 山を移す> という言葉が、すんなりと頭に入った。
それ以来、<愚公 山を移す>は、わたしの座右の銘のひとつになった。


つい最近、どこの企業の社内報であったか、「ミミズの土壌学」 と題する雑文を読んでいて、あの 中学の国語の授業で感じた、言葉がすんなり頭に入る 同じ感覚を、味わった。

・・・中国に <愚公 山を移す> という故事があるが、ミミズのことを調べていると、ふと この故事を思い出す・・・という件であった。
そう、ミミズの営みは、まさに <愚公 山を移す> に違いない。

ミミズは、一見 グロテスクな生き物である。
以前は 触るのも気持ちが悪かったが、土いじりをするようになって よくよく観察してみると、けっこうかわいい生き物である。

ミミズは、「自然の鍬」 だと言われている。
ミミズが土中を掘り進むことによって、そこには無数の穴が明けられる。
この穴に、水や空気が入り込む。
これにより、土壌表層の流壊を防ぎ、同時に この穴に土中の腐食残渣が塗り込まれて 栄養分を保持する。

さらに この穴には、作物の育成に程よい有効水分が保たれ、晴天続きや降雨続きによる乾燥や冠水を防ぐ働きをしている。
土壌に対する、ミミズの行動の 物理的な働きかけ、といえよう。

一方、ミミズは、「大地の腸」と言われている。
土くれを食べるミミズは、その腸内で 摂取された微生物が培養され、滋味豊かな栄養分を多く含む糞として排泄する。
糞だけではない。
ミミズの頭部と胴体を分ける白っぽい部分を 環帯というが、ここから排泄される尿は、植物の生育に欠かせないアンモニアなどの窒素に富んでいる。
この尿を 掘り進む穴の壁面になすりつけて、ミミズは 自分の尿を掘削油のごとくにして、硬い土をも掘り進むことができるのだ。
ミミズの通った穴には、空気が送られて 栄養素としての窒素が豊富に供給される。

まさに これは、ミミズの行動の 土壌に対する化学的な働きかけ、といえよう。

さらに ミミズは、生物濃縮の濃い生き物で、体内には植物にとって豊かな栄養分となる物質を蓄積している。
だから ミミズは、死してなお、体内に蓄積された高い栄養価ゆえに、死骸が分解されて 地味をより豊かにしていく培養基として働くのである。

その反面、だからこそ、カドミウムや鉛の汚染土壌は、ミミズにとっても 作物にとっても、ひいては それを食する人間にとっても、怖いのである。


このような ミミズの、<愚公> のごとき営みは、いとおしい限りである。
軽蔑など できようか。


雨上がりのアスファルトに、ミミズがよたよたしている。
箒の先で 痛くないように そうろと塵取に載せて、土場へ返してやった。
愚公に感心して 山を移した天帝の気持ちが、ミミズの不恰好な動きを眺めていると よく分かる。

ミミズへの愛着が増すとともに、<愚公 山を移す> は、やはりこれからも わたしの座右の銘でありたい、と思うのである。