高校三年生 |
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数日前の新聞の片隅に 小さく載った記事。
<「高校三年生」作詞者 丘灯至夫さん死去>の報を、見た。
92歳だった。
丘灯至夫(おか・としお)という名を 覚えている人は、少ないと思う。
でも、「高校三年生」の歌は、昭和30年代後半に 青春の日々を送った人たちにとっては、好き嫌いは別として、忘れられない曲では ないだろうか。
たぶん、「高校三年生」を嫌いという人は、少ないだろう。
きっと、想い出が ぎっしり詰まっているに 違いない。
赤い夕陽が 校舎をそめて
ニレの木陰に 弾む声
ああ 高校三年生 ぼくら
離れ離れに なろうとも
クラス仲間は いつまでも |
遠藤実作曲の 「高校三年生」のメロディーも、それを唄った 舟木一夫も、あの時代に 最も相応しい魅力を持っていたからこそ、あのような大ヒットになった。
しかし、丘灯至夫作詞の 当時の高校生の心を震えんばかりに捉えた 歌詞の力が、あの歌の真髄だと思う。
泣いた日もある 怨んだことも
思い出すだろう なつかしく
ああ 高校三年生 ぼくら
フォークダンスの 手をとれば
甘く匂うよ 黒髪が |
むずかしい言葉は、使われていない。
常日頃 思ったり使ったりしている言葉で、すなおに表現しているに過ぎない。
でも あの歌詞を口ずさむとき、10代の後半を必死に生きていた日々が 胸をはりさく如く 蘇るのである。
残り少ない 日数を胸に
夢がはばたく 遠い空
ああ 高校三年生 ぼくら
道はそれぞれ 別れても
越えて歌おう この歌を |
丘灯至夫さんのご冥福を、心から お祈りいたします。
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