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スイセンの甘い香り

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義母のささやかな拝壇に、家内が スイセンの切り花を お正月用に活けてくれました。
小さな仏間に、スイセンの甘い香りが漂っています。
スイセンは、義母が大好きな花でした。
スイセンの香りを嗅ぐと、義母と家内の三人で 越前を旅したことを思い出します。

僕のブログに 香りの話が多いのは、自分に残された嗅覚の力に どうも原因があるようです。

視力は 極端に落ちています。
味覚は もともと味音痴です。
聴覚は 遠い音にはまだまだ敏感ですが、近い音がうっとうしくなってきました。
よく物を落すようになったのは、触覚が衰え出した証拠かなぁ。
でも 嗅覚は、嗅覚だけは健在です。
むしろ、他の五感が衰微した分、嗅覚は冴えてきたように感じます。

記憶の中で、匂いは大きな役割を果たしています。
ひょっとすると 匂いが、もっとも強烈な記憶の要素なのかもしれません。
少なくとも 僕の頭は、匂いが記憶の誘導管です。

遠い遠い記憶は、ほとんどが匂いが主役です。
井戸の中に放り込まれたような人混みで 迷子になるまいと 必死で母の着物の袖を握り締めている自分、そこで頼りになるのは、母の匂いしかありませんでした。
ほんとうに迷子になった 進駐軍の駐屯地でも、はっきり覚えているのは、僕を抱いてくれた黒人兵の 不思議な匂いでした。
畑地で遊んでいて落ちた肥溜めは、意外に悪臭でなかったことを、大きな発見のように記憶しています。
幼い日々の記憶は、匂いで満ち満ちています。
昭和20年代は 街中、生活臭や体臭など いろんな匂いが入り混じっていたのです。
そして、匂いで危険を察知するという、人間本来の本能が生きていました。

いま 人々は、とり憑かれたように、生活から匂いを消そうと 躍起になっています。
とりわけ 体臭には、過剰反応を示します。
加齢臭は、悪の権化みたいです。
匂いの希薄な生活を、僕は味気なく感じます。
不潔な体臭はいただけないけれど、石鹸の香りに混じった自然な体臭は その人の個性で、僕は嫌いではありません。
後ろから近づいてくる人が誰だか その人特有の香りで知るなんて、素敵じゃないですか。

スイセンの甘い香りも、ときが経てば にがくなっていきます。
それはそれで、僕は好ましく思います。
いつまでも 部屋中スイセンの甘い香りが漂っているのは、興ざめです。
いま この一瞬に感じるスイセンの香りに、懐かしい想い出を寄り添わせればいいのです。

スイセンの甘い香りに呼び起こされて、生物本能の嗅覚に 生きる喜びと自信をみいだしたみたいな、なぜかうれしい正月でした。