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CADに思う

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最近、機械設計分野へのCADの普及は、めざましいものがある。
今やCAD無しでは設計が成り立たないと考えている機械設計者も、多いのではないか。

CADの威力は、すばらしい。正確さ、保存性、反復利用の便利さ、類似図面作成の迅速さなど、その長所を枚挙するに事欠かない。
私も、その恩恵を大いに受けている者の一人であるが、同時にCADの持つ疫病みたいなものに冒されつつあるのも事実だ。

まず、視神経。CADに限らず、ディスプレーのあるOA機器を扱うオペレーターには、眼の酷使と それから来る肩凝りは、共通の悩みであろう。ディスプレー機器のより一層の改良に期待すると同時に、使うもの自信の眼のいたわりが重視されねばならない。

つぎに、右手人差指と中指の二本からの入力(マウス入力)姿勢がもたらす、小指から肘の裏を通り 脇窩リンパ節に到る筋吊り疲労。
右手を責め過ぎてはいけないと、左手でマウス操作してみるのだが、右手の慣れが災いして うまく入力できない。
いっそのこと、エアロビクスしながら、両手両足をふんだんに使って入力できないものだろうか、などと考え込んだりする。

これら 身体的な拒否反応が、CADを人間不在のしろものとして嫌悪させてしまう。
もっといけないのは、CADには、私の信奉する “省略の美学” の精神と逆行する要素が 含まれていることである。
どういうことかと言うと、CADは その拡大/縮小能力から、簡単に図形を重ね合わせて描くことができる為、詳細図をどんどん取り込んでいく。主張しようとも思っていない線を消すことなく、本当に主張したい線が埋もれてしまう。
ここが、ドラフターで描く図面と大きく異なるところだ。
ドラフターなら、どうでもいい線は描かないし、言いたい線を それなりの強さ(太さ)でもって表現するからだ。

CADに疲れてくると、悪いほうにばかり目が行ってしまう。

履き違えてはならないのは、機械設計図面の第一義は、設計者の思いが 正確に判りやすく 製作者や客先などの 相手に伝わることであって、芸術的作品として観賞されることではない。
この意味において、CADは機械設計にとって強力な意志伝達手段であることに異存はない。

それでも尚、フリーハンド図面の持つ説得力に、郷愁に似た愛着を覚えるのは、私だけであろうか。

CADとフリーハンド図。この 精と粗、寒と暖、知と情 とでも言うべき、両極端の表現手段をうまく使い分けて、おのれの思いの丈を相手に伝えたい。
ちょうど、芸術家が 絵や音楽という不朽の表現手段を駆使して、おのれの情熱を人々に伝えるのと同じように。

CADと連れ添う日々の、ふと思う感想である。