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人を動かしたのは、カネではなかった。

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あれから、もうすぐ15年になる。
阪神淡路大震災。
あのとき 人の心に、何かが 確かに変わった。

去年の暮れ、久しぶりに 神戸を訪ねた。
六甲アイランドにある小磯美術館へ、「宮本三郎展」 を見るのが目的だった。
ほんとうは、同時開催の小磯良平作品選Ⅳの特別展示 『美智子妃スケッチ』 を見たかったのだ。

JRで住吉へ。
尼崎からの景色を 車窓から眺めながら、15年前を思い出していた。


あのとき、交通機関は 住吉駅までしか開通していなかった。
兵庫区にある須佐野公園からの帰り、徒歩でたどり着いた住吉駅から、須佐野公園の同じボランティアセンターで活動されていた ノートルダム女学院のシスターと ご一緒になった。
窓側に向かい合わせに座った彼女は、若い人たちの心にキリストがいるのを はっきり見ました、と話した。

須佐野公園でも、関学や 遠くは青森から駆けつけた学生さんたちが 大勢、ボランティア活動していたのだ。
車窓を流れる 多くの家々の屋根には ブルーシートが被せられ、それらのシートに溜まった水が 夕陽にキラキラ輝いていたのを、鮮明に覚えている。


震災の日が近づくと それに関連した新聞記事が目立つが、1月12日付けの朝日新聞に NPO法人 「神戸の冬を支える会」 の事務局長をされている 青木茂幸さんの記事を見た。

震災前 彼は、京都・二条城近くで 小さなパン工房を営んでいた。
震災4日目の夜 たどり着いた被災地の光景が忘れられなかった彼は、毎週末 土曜の閉店後に被災地に入り、日曜の夜に京都に戻る生活を始めた。
そして、震災後 初めて迎える冬を乗り切ろうと作られた 「神戸の冬を支える会」 に加わり、その三年後 ついに店をたたんで、専従職員になるため 神戸に移った。

あのときの思いを、彼は こう語っている。

バブル経済の余韻が残るあの頃、“カネがすべて” の風潮に疑問を感じていた。
被災地で人びとを動かしていたのは、カネではなかった。
市民が助け合う姿を見て、「この国は変わるかも」 と思った。


人間が傲慢になりすぎたとき、神は 天災という 天からの警告を発する。
そして 人の心に、人と人とが損得抜きで助け合うことの尊さを 思い出させるのだ。

あれから 15年。
決して忘れてはならない、決して忘れることのできない、天災である。