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変わらないもの、変えてはならないもの。

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     祗園精舎の鐘の声、
     諸行無常の響きあり。
     娑羅双樹の花の色、
     盛者心衰の理(ことわり)をあらは(わ)す。
     おごる人も久しからず、
     唯春の夜の夢のごとし。
     たけき者も遂にはほろびぬ、
     偏に風の前の塵に同じ。



これは、平家物語の巻第一 「祇園精舎」の 有名な冒頭句である。
これを 遠く鎌倉時代に描いた作者が、あたかも 今の世情をうたいあげているようで、改めて 平家物語を身近に感じてしまう。


あの 憧れの日本航空が破綻し、飛ぶ鳥落とす勢いであったトヨタは 落ち目の端緒を露呈しつつある。
ぼくは もっと前に、今と同じ 消え入る思いを味わったことがある。
バブル絶頂期の平成元年に伝えられた、新日鉄釜石製鉄所の高炉閉鎖のニュースであった。

ぼくにとって、高炉というものは 決して火が落とされるものではなく、まして 新日鉄は雲の上のガリバーであって、釜石製鉄所は そのシンボルであったのだ。
あぁ 時代は移ったんだ、そんな感慨が、信頼していたものが音をたてて崩れるように ぼくの心を空しくさせた。

その後 今日に至る 20年余は、いまの不甲斐ない世情の助走期間であった と、後追い評論的に思うのだ。

この助走期間に ぼくたちは、漠然とながらも ある正しい価値観を育ててきた。
それを どう表現していいのか、はっきり言えるのは、日本航空に抱いた “国の威信” などではない、トヨタが信奉した 「カンバン方式」 に代表される “効率” などではない、うまく言えないが、もっともっと身体的なもの、感触的なもの、そう、やっぱり 真摯に人間と対峙する心情だと思う。
その 漠然とでも育んできた思いは、現行の日本国憲法に ちゃんと示されているのだ。


ぼくは、戦争を知らない。

かろうじて戦中生まれであるが、もの心ついたころには 日本はアメリカ!アメリカ!だった。
ぼくたちは ユニセフミルクで育った最後の世代であり、個人的差異はあろうが アメリカコンプレックスで少年期を過ごした。
アメリカは 偉大であり、寛大であり、どこまでも陽気で前向きな国であった。
その信頼を、多感な青年期に遭遇したベトナム戦争が 崩した。
アメリカは あのとき、気付かねばならなかったのだ。

間違いを犯したことは、そういう成り行きだったのだろうから、仕方がない。
その間違いを 間違いと気付かなかったことが、それを正しい道への誓いに しなかったことが、こんにちのアメリカの衰退の 最大の原因であろう。


ぼくは 戦争を知らないが、戦争の惨さを想像する力は 持っている。

日本も 60余年前、大きな大きな過ちを犯した。
その悔恨の “悔い改め” が、憲法であった。
とくに、憲法九条である。

加藤周一氏の九条の会の呼びかけを待つまでもなく、ぼくたちの父母や祖父母たちの悲痛な叫びは、原爆碑に 「二度と同じ過ちはくり返しません」 と はっきり刻み込まれている。

あのとき ぼくたちの先輩たちは、間違いなく 正しい道への誓いをたてたのだ。
たとえ それが、アメリカの押し付けであっても、決して間違った道ではなかった。


この国には、さまざまな考えを持つ人々がいる。
そのことは 悪いことではない。
開かれた社会の 象徴でもある。

ただ ぼくは、間違ったことを あたかも正しいことのように主張する人たちに、強い抵抗感を覚える。
日本の過去の侵略行為を正当化する人たちに、果てしない距離感を覚える。
そういう人たちと 将来うまくやっていけるだろうか、この国は ひょっとして真っ二つに分断されてしまうのではないか、そんな とり越し苦労すら してしまう。

70年安保の学生紛争に心揺れていたころ、ぼくは、マハトマ・ガンジーの 次のような言葉に出会った。

  「七つの社会的大罪」
     『理念なき政治』
     『労働なき富』
     『良心なき快楽』
     『人格なき教育』
     『道徳なき商い』
     『人間性なき科学』
     『犠牲なき宗教』

奇しくも この言葉を、先日の鳩山首相の施政方針演説で 耳にした。
ぼくは、とてもうれしかった。
宇宙人と貶されようが、一国の総理の口から、40年前に身震いして出会った ガンジーの言葉を、聞くことができたのだから。
この20余年の迷走は、このガンジーの言葉の再認識のための 助走期間であったのだろう。


はっきり言えることがある。
なにを信じて生きればいいのか 皆目見当のつかない今の日本で、これだけは はっきりしている。
現行の日本国憲法は、日本が いや 人類が 生き延びるための必要欠くべからざる理想が、詰まっている。


市井のひとりに過ぎないぼくが、なにほどのことができるはずもないが、この憲法を改悪する動きには、ぼくは 徹底的に抵抗する覚悟を持っている。

それが、この憲法に 父母の世代が託した 血の滲む遺言であり、それを 正しく子孫に伝える義務が、ぼくたちにはある。
それが、ぼくたち世代の 役目なのだ。
ぼくたちの孫らが、すくなくとも ぼくたちが享受した恩恵を この国から感じ取ることができますよう、願いを込めて。


この ぼくたちの指針は、決して間違ってはいない。
盛者心衰の世であっても、変わらないもの、変えてはならないもの、それは われわれの憲法である。