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ながめを何にたとふべき

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京阪電車の深草・墨染(すみぞめ)駅からすぐのところに、墨染寺(せんぼくじ)という 小さなお寺があります。
その境内に、3本のソメイヨシノの大木に寄り添われて、接ぎ木に接ぎ木を重ねた三代目の 小さな薄墨桜が植わっていると聞きました。
どんな色で咲いているのだろう、興味がわいて、先日 家内と墨染寺をたずねました。


金剛能に、「墨染桜」 という演目があります。

平安京のはじめ、仁明天皇が崩御されたのを悼んで、廷臣の上野峯雄(かんつけのみねお)は出家し、天皇の陵の地、深草の里を訪れます。
そこには、天皇が寵愛された桜が咲き誇っていました。

「深草の 野辺の桜し 心あらば この春ばかり 墨染に咲け」

上野峯雄が こう詠じますと、どこからともなく女人が現れます。
そして、「この春ばかり」 のところを 「この春よりは」 に改めてほしいと願い、桜の木陰に消えました。
翌年の春、花見に訪れた里人は、一夜にして墨染に変わる桜に驚き、読経します。
その読経に引かれ、老木の中から尼僧姿で現れた墨染桜の霊は、先帝の崩御を悲しみつつも、桜の徳を説き、草木の身ながら仏縁を得て、法体になりえた悦びを語って、報恩の舞を舞います。
舞い終わった尼僧は、はなびらが散るように 消えてゆきました。


京阪墨染駅の脇を、疏水がゆったりと流れています。
その川面いっぱいに、桜のはなびらが浮かんでいます。
まるで ピンクの敷物がゆっくり下っていくような 錯覚にとらわれながら、じっと疏水をみているうちに、「春のうららの隅田川…ながめを何にたとふべき」 と すらすら口を突いて出ました。
すると、疏水に浮かぶ この捉えどころのない花びらが、すーっと胸に収まって、あたかも自分のものになったようでした。


中学校に、小林レイ先生という 音楽の女の先生がおられました。
家内は音楽部でたいへんお世話になったようですが、放送部に入っていたぼくは、その顧問を兼任されていた小林先生に 逆らっていました。
洋画かぶれしていたぼくは、放課後の校内放送に 映画音楽を流そうと企てたのですが、顧問の小林先生の許可がおりません。
先生は 音楽の授業で、滝廉太郎の 「花」 や 「箱根八里」 の歌詞を暗記するよう 指導されたのですが、ぼくは拒みました。
なまいきな生徒でした。
「花」 と 「箱根八里」 の歌詞暗記を、放課後の映画音楽放送許可の交換条件に出したのです。

中学二年の三学期、5時限目の授業終了後から 下校時刻まで、ぼくらの中学校に映画音楽が流れました。
そして ぼくは、「花」 と 「箱根八里」 を、生涯の名曲とすることが できたのです。


桜は、悲しい花です。
でも その悲しさの質は、それをみる人の加齢とともに変わります。
その潔さに触れて、そわそわした悲しさだったものが、安らかな悲しさに変わります。

幼い枝に咲く墨染の桜にも、法体になり得た桜の霊を感じ取ることができ、疏水の水面を覆う花びらにも、名曲 「花」を通して どんな写真も及ばない春のイメージを心に焼きつけることができる、そんな加齢を重ねたい。
墨染駅で京阪電車を待ちながら、安寧な気持ちで そう思いました。