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手動の楽しさ

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製麺機械を設計していて、このごろ強く考えさせられることがあります。
それは、「手動」のシンプルさ、親しみやすさ、判りやすさ、無理のなさ、です。

「手動」が持つ利点を 機械側から表現するなら、“手動は人力以上に無理じいせず、同時に 人間の頭脳という優秀なセンサーでコントロールしてくれる”ということです。
これは、機械にとって とても優しい利点です。
同時に、機械のコストダウンに直結する大きな要素でもあります。

機械は、つらい重労働から人間を解放してくれました。
面倒な仕事、単調なつまらない仕事、ひとりの人手ではとてもできない仕事、そういう “非人間的”な仕事を、機械が人間に代わってやってくれます。
このことは、すばらしいことであり、人間の英知のたまものです。

でも、行き過ぎた自動化は、決して人間を幸福にしません。
そのひとつが、「手動」の “人間らしい”楽しみを奪うことです。


本来 “人間らしい”仕事は、楽しいものです。
指先から感じ取れる微妙な違いを察知して、素早く適正な処置を講ずるときの、動物的な反応の心地よさ。
しくみが理解できる悦びと、ときには自ら修理できる満足感。
これらは、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、ときには味覚までも総動員して、機械とのふれあいの楽しさを味わえる醍醐味です。
自動機械、ことに全自動機械では 味わう機会がきわめて少ない 楽しさなのです。

この例えは適切ではありませんが、昔のポンコツ自動車には ボンネットを開ける楽しみがありました。
オーバーヒートの原因が 素人ながらも理解でき、ときには自ら修理することができたのです。
こういう懐古的な楽しみだけではなく、「手動」は、人間本来の本能的な悦びを満足させてくれる要素を、確かに持っています。

これからの機械設計者には、何でもかんでも自動にするのではなく、安全性を最優先しながらも、その機械を扱う人の人間性を尊重する配慮が大きく求められるときに来ている、そう強く思います。
その具体的な手段が、「手動」だと。

手動を最大限取り入れた 自分の設計商品を前に、『使いやすい機械だよ』と褒めていただいたお客様のお顔を、いま思い出しています。