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西村加代先生から教わった数々のこと

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「先生、手っ取り早く太極拳がうまくなるコツはありませんか」

15年前、西村加代先生に投げかけた質問です。

いまから思えば、なんと間抜けな質問をしたことか。
先生は、ぼくの目をにっこり見てから、こう一言おっしゃいました。

「退歩(トゥィブ)を、くり返し、練習してごらんなさい。」
退歩とは、後ずさりするような 太極拳独特の、足の運び方のことです。

あのとき すでに、西村先生は、ぼくの性格を 良いところも悪いところも、ちゃんと見抜いてられたのだと思います。
早くうまくなりたくて、退歩をくり返しくり返し練習し そうしているうちに、腰が据わるという感覚を、ぼんやりながらつかむことができました。

ただ 腰の据わりの感覚をつかむだけなら、退歩でなくて、上歩(シャンブ、前進する足の運び方)でも、良かったのかもしれません。

後ずさりする快感を覚えたことが、当時なによりもの収穫だったと、このごろやっと判ってきました。
ぼくには 『退歩』の練習が、太極拳の小手先の上達よりも もっと大切なこと、下がることによって衝突を避けて 共存することも、生きていく上で必要だという考え方を学ぶには、いちばん “手っ取り早いコツ”だったのです。
譲ること 負けることが大嫌いなぼくの性格を、西村先生はちゃんと見抜いていてくださったのだと…。


西村加代先生は 敬虔なクリスチャンで、シスターとして世界各地の僻地で奉仕されてこられました。
どうしてクリスチャンになられたのか、また どうして太極拳の講師になられたのか、それを先生に質問することは、無神経なぼくにもできませんでした。

3年前の年末に 太極拳を教える場で、くも膜下出血で倒れられ、4日間死線をさまよわれました。
しかし、その一ヶ月後にはリハビリを始められ、長年培われた太極拳をご自身のリハビリに徐々に適用されて、不屈の精神力で奇跡的な回復を遂げられました。

去年の4月からは、太極拳を広く患者さんたちのリハビリに採り入れるべく、リハビリ療養士さんたちに太極拳を指導されています。


ほんの少し剣道を習ったことのあるぼくは、西村先生の太極拳教室に入るとき、剣道場と同じようにお辞儀をしていました。
先生は褒めてくださったけれど、それは、先生の鼻歌が教室から聞こえてきて、その鼻歌がとても神聖な気がして、自然にそうしていたのです。
教室に少し遅れて行ったときなど、先に来られていた生徒さんたちと談笑されていることが多かったのですが、ぼくはなかなかその輪に入っていけません。
数回そういうことがあってから、「いま、こんなことをお話してたんですよ」と、先生の方からぼくに声をかけてくださるようになりました。
先生のお心づかいのおかげで、人と接することの苦手だったぼくは、一か月も経たないうちに教室に打ち解けていけたのです。


西村先生は、本をたくさんお読みでした。
あるとき、生徒さんたちに 「皆さんがいままでお読みになった本のなかで、一番感動された本を、貸していただけませんか」とおっしゃいました。
愛読書を通じて 生徒さんひとりひとりをもっと知りたいというお気持ちもあったでしょうが、ご自身の飽くなき読書欲によるほうが大きかったと思います。

ぼくは、竹山道雄著の 『ビルマの竪琴』をお貸ししました。
ぼくにとって、『ビルマの竪琴』は、文字通り座右の書だったからです。
ぼくにとって、水島安彦は、当時、生きる道しるべでした。
よくよく考えれば、クリスチャンの西村先生に 『ビルマの竪琴』は、ちょっと変だったのかなぁ、と…
でも、先生はちゃんと読んでくださって、「とってもいいお話でした、ありがとう」とおっしゃいました。


先生からたくさんの本をお借りして、お借りした本は全部読みました。
遅読のぼくには、だいぶ努力が要りましたが、自分ではたぶん選びはしない本を、それも感銘を受ける本を数多く読めたのは、西村先生のおかげです。

すぐ思い浮かぶ書名だけでも、次のような本でした。

斎藤孝著 『宮沢賢治という身体』
斎藤孝著 『教師=身体という技術』
斎藤孝著 『身体感覚を取り戻す~腰・ハラ文化の再生』
斎藤孝著 『自然体のつくり方』
斎藤孝著 『子どもたちはなぜキレるのか』
斎藤孝著 『座右のゲーテ』
甲野善紀著 『古武術からの発想』
曽野綾子著 『中年以降』
曽野綾子著 『晩年の美学を求めて』
曽野綾子著 『心に迫るパウロの言葉』
佐藤初女著 『おむすびの祈り』


斎藤孝氏は いまでは名の知れた知識人ですが、西村先生は 早くから斎藤孝氏の身体に対する深い造詣に、関心を持っておられました。
甲野善紀氏についても、古武術の身体感覚と太極拳の身体感覚との関連性から、早い時期に甲野氏の考え方を、先生から紹介していただきました。

佐藤初女氏 曽野綾子氏 ともに、西村先生の尊敬の念を通じて、彼女らの輝きの一部を知ることができました。
ことに、曽野綾子女史は、同じ信仰者としての親しみを お持ちだったのだと思います。
お借りした本の中で、一番多く読んだ著者であり、ぼく自身 一番強く影響を受けた著者でした。


ぼくは、信仰を持っていません。
しかし、正しい信仰者の強さ、やさしさ、すごさは、理解できます。
いくばくかは、そんな強さ やさしさにあこがれて、信仰を持てたらいいのになぁ とは思います。
でも たぶん、無理だと思います。
それでも 少しでも、近づける努力だけは怠るまい、そう考えています。

まじかに、西村先生のような篤信者に接することができたことは、太極拳に寄り添えたことに劣らず、ぼくにとって 幸いな出来事です。

ぼくは、西村先生の “下姿独立(シァシドゥリ)”の型が大好きです。
リハビリ療養士さんたちを相手に、あの “下姿独立”を披露されている 西村太極拳老師(ラォシー)を、いま鮮やかに 目に浮かべることができます。