YAMADA IRONWORK'S 本文へジャンプ
もだえ神さん

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一緒に仕事をしている水野さんが、重松清の単行本 『十字架』を貸してくれました。
わたしが重松清ファンだということを、知っていてくれたのです。
近頃は 数ページ読んだら眠くなるのに、『十字架』は一気に読んでしまいました。


スウェーデン・ストックホルムの近郊にある世界遺産 『森の墓地』のイメージを下敷きにして、物語は、「いけにえいじめ」されて死を選んだ 中学二年生の男の子・フジシュンの遺書から、展開していきます。

遺書には、勝手に親友扱いされたユウくん(主人公の僕)には 「ありがとう」、いじめられた同級生・三島と根本には 「ゆるさない」、片思いの中川小百合さん(サユ)には 「ごめんなさい」、その三つの思いが書きのこしてありました。

遺書に名前を出されて、一方的にフジシュンの思いを背負わされて生きた 彼ら四人のその後の人生を、物語は、「見殺し」という十字架を背負う 「罪びと」の意識との葛藤として、描かれています。


ひとを責める言葉には二種類ある、と、重松清は 小説のなかで語っています。
ナイフの言葉と十字架の言葉。

事件の一部始終を知る 地方紙の女性新聞記者・本多さんが、18歳になった僕(真田裕)に語ることばとして、著者は こう描いています。


 「その違い、真田くんにはわかる?」
 「言葉で説明できないだけで、ほんとうはもう身に染みてわかってると思うけどね」
 「ナイフの言葉は、胸に突き刺さるよ」
 「痛いよね、すごく。なかなか立ち直れなかったり、そのまま致命傷になることだってあるかもしれない。
  でも・・・」
 「でもね、ナイフで刺されたときにいちばん痛いのは、刺された瞬間なの」
 「十字架の言葉は違う。十字架の言葉は、背負わなきゃいけないの。それを背負ったまま、ずうっと歩くの。
  どんどん重くなってきても、降ろすことなんかできないし、足をとめることもできない。歩いている限りって
  ことは、生きている限り、その言葉を背負いつづけなきゃいけないわけ」
 「どっちだと思う?」
 「あなたはナイフで刺された? それとも、十字架を背負った?」



あの阪神大震災のあと、「ちびくろ救援ぐるうぷ」で取り付かれたようにボランティア活動をされていた村井雅清さんは、自分たちだけ助かったという 理不尽な負い目を背負ってられたに違いありません。

去年の夏、佐用町を襲った台風9号による豪雨で、濁流に流されて行方不明になった小学5年生の小林文太君のおじいさんは、自分が避難して来いと言ったばかりに 文太君を失ってしまったと、ご自分を責め尽くしておられました。


小説 『十字架』の中川小百合も、自分を責めます。
フジシュンが自殺する当日にかけてきた電話のこと、プレゼントを持って行きたいと言われたこと、そっけなく断ってしまったこと、電話を切ったあと フジシュンが宅急便でプレゼントを送ったこと、そのコンビニでビニールテープを買って帰り 部屋に置いてあった遺書に 自分に詫びる追伸のメッセージを残したこと、そして 首を吊って死んだこと。

もしもフジシュンの望みとおり、会っていれば。
会わなくても、もっと優しい言葉をかけて電話を切っていれば…
サユは ただただ、ごめんなさいを繰り返すことしかできませんでした。


人は皆、心のどこかで、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、と叫び続けずにはおれない負い目をもっている。
生きていくことは、ごめんなさいを積み重ねることなのかもしれません。
ただ ごめんなさいが、素直に口を突いて出ない。

法然上人は、ごめんなさいが言えない人間の弱さを見抜かれて、ただただ 「南無阿弥陀仏」と唱えなさい、と諭されたのだと思います。


小説 『十字架』を読み終えたのは、午前2時をまわっていました。
目が冴えて すぐには眠れそうにありません。
録画しておいた 「100年インタビュー ~免疫学者 多田富雄 “寛容”のメッセージ」を再生しました。

寛容の意味を探る その④「文明と科学の未来に救いはあるのか?」で、その答えを探るべく、三宅民夫アナウンサーは、前立腺がんを宣告されたころの多田先生が出された往復書簡集 『言霊(ことだま)』の対談相手であった石牟礼道子さんを、熊本のご自宅に訪ねます。


パーキンソン病で姿勢保持困難なおからだで、石牟礼道子さんが、ひとことひとこと噛みしめるようにおっしゃった言葉のかずかず。
次元が違いすぎますが、突然 盲目になったパウロが再び眼が見えるようになって 主に <行きなさい>と指し示された悦び、とでも表現したらいいのでしょうか。

据わらない首を懸命にこらえておっしゃった石牟礼さんの言葉から、録画の再生画面を通して私は、震えるようにあふれ出る悦びの智識を授かりました。


もだえ神さん。
なんにも出来ずに、ただ立ちすくむだけの人。
苦しんでいる人に 自分は何もしてあげられないと、もだえる人。

石牟礼さんが会われた 重度水俣病患者のご婦人は、自分の前で ただ立ちすくむだけの人をみて、「もだえ神さん」と呼んで 手を合わされた、というのです。

石牟礼さんは、「文明と科学の未来に救いはあるのか?」という問いに、多田先生がお考えになっていたのは こういうことなのでしょうと、どん底から心を再生した水俣病患者さんの言葉として、わかりやすく諭されます。

 …他者の存在をないがしろにしない、そこには愛があり、人の心は愛で治ります。
 多田先生のおっしゃる 「寛容」は、品性の落ちた人々の心を再生する基盤、大地からの再生エネルギーを
 共有する基盤です。
 それを、「愛」と呼んでもいいでしょう。
 ある水俣病患者さんは、苦海を這いずりまわって苦しんだ末に、「チッソを許します」とおっしゃった。
 「許すと、自分が楽になりますから」と。
 多田先生が 長い闇の向こうに見えるとおっしゃる 「希望」も、「愛」と呼んでもいいでしょう。
 文明と科学の未来に救いはあるのか?という問いかけは、多田先生が すでにちゃんと、お答えになって
 いるのです…


多田富雄先生は、往復書簡 『言霊』の中で、石牟礼さんのことを こんな風に表現されています。

 …怒りを包んで、そこからほとばしり出る魂である。
 それが、石牟礼さんの 「姉性(あねせい)」だと 私は思う。
 ともすると絶望、末世の思想に陥って、そこから抜け出せない現代である。
 しかし、彼女の強さや優しさは、一抹の希望を予感させる。…


「姉性」って、わかりやすくて いい言葉ですね。
石牟礼さんに、ほんとうにぴったりの言葉です。


小説 『十字架』の終盤で 重松清は、かつての恋人だった <僕・ユウ>に宛てた中川小百合の手紙の中で、次のように落ち着かせています。

 …昔ユウくんに言われた 「荷物をおろせ」という言葉を、最近よく思い出します。
 それって無理だよね、と思うのです。
 わたしたちはみんな、重たい荷物を背負っているんじゃなくて、重たい荷物と一つになって歩いているんだ
 と、最近思うようになりました。
 だから、降ろすことなんてできない。
 わたしたちにできるのは、背中をじょうぶにして、足腰をきたえることだけかもしれません。…


もだえ神さんでいいんだよ、と、重松清も言っているような気がします。
すくなくとも、人に 「もだえ神さん」を見出す優しさを、持ち続けたい。

小説 『十字架』に、そんなことを考えさせられました。